書評「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」|MK新聞連載記事

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書評「福島原発事故 県民健康管理調査の闇」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
日野行介(著)『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』の書評記事です。
MK新聞2013年11月1日号の掲載記事です。

健康管理調査はだれのためか?

日野行介(著)『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』

日野行介(著)『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波書店、2013年)

毎日新聞社会部の記事である日野は3・11があった2011年3月下旬の未明、東京電力本店がある新橋近くのコンビニに入った。
中は薄暗く、棚にはほとんど商品がなく、「これからどうなるんだろう」という強い不安を抱いた。
福島県では第一原発事故による健康への影響を調べるため2011年6月から「県民健康管理調査」を実施しているが、これは県の委託で福島県立医大が行っていて、その検討会が、外部に知られないように「秘密会」を開いているようだという疑惑から記者の取材が始まる。
その裏会議は正式の検討委員会の直前に開かれ、予行演習として検討会で発表する内容の説明の仕方を打ち合わせていた。
記者は県の担当者にこの裏会議の存在について尋ねるが、認めようとしない。
そこで、委員の旅費や会議費の予算について情報公開請求をすれば出さざるをえないですね、と詰め寄る。
少し時間がほしいと言い、やがて「つかんでおられる通りです」と認めた。

「たった3人です」

そもそもこの調査の実施主体とその評価をする第三者員会のトップが福島県立医大の山下俊一副学長が兼任していたこと自体が、疑問を持たれていた。
日野記者は県側に悟られないようにさらに取材を進める。
そして、2012年10月3日、毎日新聞一面トップに5段抜きの「福島健康調査で秘密会」という見出しで、検討会が1年半にわたって秘密会を開いていたことを報じ、ネットには数万件のヒットがあった。
しかし、肝心の問題は被ばく線量の基準値を決めること。
秘密会で決められたのは事故後4ヵ月で20ミリシーベルトというものだった。

さらに子どもの甲状腺検査問題がある。
調査対象は事故当時18歳以下の約36万人、検査は2011年10月に始まり、結果の通知は「A1」、「A2」とだけ書かれた判定結果と検査に関する一般的説明だけ
。そして、12年1月、山下副学長と鈴木眞一教授の名前で日本甲状腺学会など7つの学会に、「A2」と判定された子どもの母親から相談があれば「次回の検査までに自覚症状が出ない限り追加検査が必要ないことをご説明いただきたい」という要望書が送られていた。
これには強い批判が出て、要望書は撤回された。

13年3月、甲状腺検査の説明会で、1人の女性が「3人の子どもが手術を受けて傷を一生背負っていくのは心が痛む。以前の先生は100万人に1人と言っていたのに、3人とは多くないですか」と質問した。
それまで鈴木教授は確かにそうした発言を繰り返していた。
鈴木教授は「100万人に1人という正式なデータがあったわけではない。いまはたった3人なので」などと発言、別の女性が「珍しい病気で3例みつかるのは多数ではないですか」と発言すると、「たった3人とは言っていない」と答え、会場から「絶対言った」の声が起こって、結局「言ったとしたら訂正します」と謝った。

甲状腺検査にあたって医大は『甲状腺超音波診断ガイドブック』(南江堂)をもとに独自の検査マニュアルを作っていた。
このガイドブックは鈴木教授も作製者の一人であり、福島の検査では観察項目から2つ削られていた。
その理由について教授は、検査のスピードアップのためだったというが、削った理由は公表されなかった。
毎日新聞の秘密会報道の翌月、11月18日に開かれた検討委員会で弁護士や報道関係者を追加するはずだったが、追加されたのは医師会会長と臨床心理士会の副会長だった。
弁護士が含まれていないのは弁護士会が委員を推薦すると、県のおざなりの改善策にお墨付きを与えることを懸念したためだった。

「にこにこしていると放射能は来ない」

2013年6月、第11回検討委員会が開かれ、福島医大の山下副学長ら4人の医大関係者が退任、座長には県医師会の星北斗常任理事が就任した。
新たに就任した医大の清水修二教授は長年にわたって原発マネーの問題点を追及してきた人で、弘前大の床次教授は事故発生直後、福島県から浪江町の被ばく測定を中止するように圧力をかけられても、同町と連携して初期被ばくの測定に取り組んでおり、日本医科大の清水一雄教授は甲状腺の専門医で、チェルノブイリでの医療経験が豊富という。
変化はこうした委員の顔触れに現れただけでなく、患者の各地域での分布表まで公表したことも、以前にはないことだった。

退任した山下副学長は1952年、長崎市生まれの被爆二世。
被爆者の立場で放射線のリスクに取り組み続けた人物だが、実は集団告訴の被告である。
事故直後に福島県内で講演をした際、「にこにこ笑っている人には放射能は来ません」などと発言し、2012年6月にケンミン約1300人から東電幹部や国の原子力安全・保安院の幹部らとともに刑事告訴された。

1年にわたって調査報道を行ってきた日野記者の立場は明快である。
「広島・長崎の原爆、世界角国の核実験、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故などにおける、放射線被ばく(特に内部被ばく)と健康被害の歴史は、国と一部の「専門家」による隠蔽と情報操作の繰り返しだった」。
取材の過程で、10年後、20年後に健康被害を訴える人々が現れた時どうなるのか、と言うことが気にかかり、県民健康管理調査の結果をもとに「被ばくとの因果関係はない」とされた時に、今度の調査課がどんなものであったのか、「記録として残す」ために本書を書いたという。
しかも。健康被害の網羅的調査は福島県のみとあれば、記者の目指すものはなお重要である。
日野記者の活動と毎日新聞の報道に声援を送りたい。

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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