自給自足の山里から【200】|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【200】|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2015年10月1日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

手術を終えて、私の70年談話

手術を終えて、私の70年談話

安保法案反対!戦争アカン!!

11月30日は歴史的な日である。
全国津々浦々、350ヵ所以上で、老いも若きも、東京国会前に12万人、大阪2万5,000人をはじめ、20万余の人々が、「安保法案反対」「戦争アカン」の声を上げ、行動・デモした。
30万人が国会を囲んだ60年安保以来である。そして、戦いは続く。
見舞いの人たちは、「これから扇町公園に行く」と言っていた。
私は、今、白い巨塔の一室で車イス生活である。参加できないのが無念である。
病室の四角い窓から見えるのは、大地をめくり、コンクリートによる角ばったビルディングばかりである。
大地に根ざし、豊かな水、天空大気の太陽・月光をいっぱいいただき、樹々・草々・動物たちは、まるく、まるくゆれ、大地の“におい”を届けてくれる世界―我が山村がなつかしくも、今、アベの戦争法案に心は角ばる。
4月初め、左目まぶたが腫れ、眼科へ。「ハチに刺されたのでしょう」と軟膏を処方。歯科・耳鼻科でレントゲン、そして総合医院でCT受けるも診断下りず。6月26日、大阪の今の病院で“上顎(じょうがく)ガン T4aN”と診断。手術は8月3日。この間4ヵ月。地方の医療の現実を、身をもって体験する。

大手術は辛く、真に孤独なもの 幻影と激苦がさいなむ!

8月3日、朝11時に手術室に入る。主治医は、「大森さんはただ眠っていればいい」という。医者は6、7人。
目覚めたのは翌日0時半。無事終了。
13時間半におよぶ「大手術」である。
ピンポン玉くらいになったガン(左上顎と左目)をガバッと取り、そこに、右足太ももの肉片を貼り付け、その際のつなぎに、左首の太い血管を4本とり移植する。
4日朝に目覚めるも、ベッドの上で首は動かせず、ノドに穴開け管、鼻にも、足と手に点滴の管をまきつかせての生活が始まった。
1週間もすると、医者も驚く回復力。ベッドに座れるようになった。
この1週間は、私の人生で味わったことのない“激苦”の世界。ベッドにくくりつけられて動けず、ただ一人耐えゆく辛さ。
幻影がさいなんだ。我が亡き愛犬、愛猫がウロウロして、さらに白い長い髪の女性がふらふら、手を差し伸べれば、ずーっと消える。思わず大声! 看護婦さんたちに世話になる。
手術前の友人からの「便り」が、この間の心の支えになった。
「長時間の手術だそうで、本当につらいですね。私も42歳のとき、失明するかもしれないと手術したもので、その恐怖を少しは想像できます。人生最大の大病、まだ若かったし、自分のことより早く治して子どもたちのところに戻らなければの一心で乗り越えました。昌也さんは、73歳で大病、体力が衰えている分、精神力で乗り切ってください。
大手術の後は、なかなか辛いもの、病気というのは、真(まこと)に孤独なもの、たった一人で耐えていくしかないもの、自分がどれほどの人間か試されます。
遠くから念力を送っていくつもり。お互いの人生の最終段階を自分らしく体験していきましょう。
やす子」
手術後の治療は続き、退院は10月末になりそう。

 

私の70年談話―子・孫たちへ―

私は、満州(中国東北部)で生まれ、70年前は3歳。
父は、叔父に満州行きを誘われたが、大変苦悩し迷いつつ民間の仕事に就いた。
敗戦間際、軍人家族らはいち早く逃げ日本へ。代わってソ連軍。父は、シベリアに抑留途中、外モンゴルで病死した。
敗戦のどさくさにまぎれて、叔父らは逃げ帰った。「お前の父親は、侵略したのどうのと言って残って死んだ。バカ正直な男!」と…。
母は、妹を背負い、私の手を引いて逃避行。一余年の抑留生活を経て、引き揚げ船で父の出身の山村に帰国。この間のことはほとんど語らず昨春死す。語ることもはばかられる体験であったのである。私は4歳になっていた。
このときの“戦争体験”は幼い私の心に深い傷跡を残した。
今も鮮明に覚えているが、私は級友の前で、平然とヒヨコを踏み潰し殺した!
そんな私の心を癒してくれたのが、これまた鮮明に覚えているが、裏山の麓を流れる小川の鮮やかな彩りのメダカたちであった。一日中、夢中になって、たわむれていた。
その頃には7、8歳になって、本来の心優しき子どもになっていた。
また、当時、村には、戦地から天皇という天蓋がとれた青年たちが帰り、百姓仕事に精出し、村の活性化に励む姿に影響され、「大きくなったら村のために働こう」と思うようになっていった。
私の父と兄弟(フィリッピンで戦死)を戦争で失った祖母は、「天皇より先に死なん」と畑仕事に精を出していた。
私は、アメリカのベトナム侵略に抗議し、日本の加担を拒む戦いを行い、牢に入れられた。そして今、父が、山村で暮らせないと、中国侵略に加担した苦悩に思いをはせ、1万余年の平和を築いてきた縄文の百姓によるこの日本列島・世界の人々がみんな農に従事する社会、世の中を希望し、明日を思う。
(2015年9月6日)

 

あ~す農場

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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