自給自足の山里から【138】「大地に足を着ける少女」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2010年8月1日号の掲載記事です。
大森れいさんの執筆です。
大地に足を着ける少女
その国へ、人は何かを求めて旅をするのだと思っていた。その土地の文化、歴史を初めて知ることで人は強くなるのだと考えていた。写真やテレビでしか見たことのない世界を、身体で感じるために人は世界に出るのだと信じていた。でもそうしてやっと人は自立できるのだと、私は今信じている。
なのになんなんだ、そんなにあなたにとって世界は狭いの? そんなにおもしろくないものなの? すべてのものから感じてよ。身体をそっちの方へ向けて、その地にあるステキなものやその国の歴史を、その地で人々が残してきたキオクを、土を手で心でさわってみてよ。たくさんのキズがあるでしょう。たくさんの血がここにはある、自分を信じ、私たちの知らない時代を戦ってきた人々の涙がここにはある。彼らはその時代を農民、ゲリラ、軍隊として生き、死んでいった。
私はこの時代をどう生きるかを考えること、彼らに教えてもらう。テレビの中ではアフガン戦争のことを専門家たちがすました顔で話している。あっちの国(戦場)へ行けば私もあなたもどんな顔をするんだろうなぁ。
エルサルバドルの100年
エルサルバドルでは1907年からメレンデス一族の独裁が始まり、20世紀初めには一時安定した。が、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け世情は不安定となり、経済危機の混乱の中、1942年にマルティネスがクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた。その間激しい弾圧が行われ、ラ・マタンの虐殺があった。反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や西部のマヤ系ピピル族などおよそ3万人が虐殺された。
第二次世界大戦では親米派として連合国の一員に加わるが、1944年にはクーデターが起き、マルティネス独裁体制は崩壊した。でも、その後も政情は不安定でクーデターによる政権交代が相次いでいた。その中常に農民・労働者は独裁、弾圧され、餓死寸前の生活にまで虐げられていた。
そして1980年反政府ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が結成、右派の民族主義共和同名(ARENA)との内戦を展開した。
FMLNは当初北部から東部の山岳地帯を中心に優勢な戦いを進め、83年には国土の3分の1を支配区としていたが、政府軍に米国の軍事援助が行われるようになると守勢に追い込まれ、92年両者は和平協定に合意した。
FMLNは政党としての活動を宣言し武装解除した。こうして、12年間にもわたって続いた内戦はたくさんの犠牲者を生み、多くの人々がアメリカへ逃亡し、内戦時には右派政府の「死の団体」によるゲリラの暗殺も行われていた。
変革の風が吹き始めている
エルサルバドルの市場のおばさんのひざはボロボロだった。内戦中、彼女は毎日終戦を神に祈っていたという。
内戦が終わった今でも平安が訪れるように彼女は協会で祈る。「ゲリラも政府軍も私には必要ないの」とおばさん。内戦時に殺されたある神父さんは訴えた。「yano basta con rezar(もう祈りはたくさんだ)」。94年に行われた内戦後初の大統領選挙以来、右派のARENAが政権を握っていたが、2009年6月初めてFMLNから大統領マウリシオ・フネスが就任した。今、エルサルバドルには変革の風が吹き始めている。
アメリカに稼ぎに行っているの
会いたい人に会いに行くのがうちの旅だった。グアテマラのある村でステキな女の子と出会った。彼女の名前はシンリィ(13歳)。
彼女と出会ったきっかけは私がシェラという町のホームステイ先の家でたまに出てくるチーズだった。ホームステイ先の家族はいつもそのチーズを大事そうに食べていた。そのチーズはいつも金曜日の午前中、山から1時間かけて、あるおばあちゃんが持ってきてくれる。
そのチーズは草のにおいがして、とってもおいしい。でも私は午前中にスペイン語の授業を取っていたので、いつもそのおばあちゃんとは会えずにいたけど、ある日、シェラで働いている娘さんと出会い、無理を言って村へ連れて行ってもらった
。村は山の中にあり、牛やニワトリが自由に歩き回っている。私はうれしくて、畑や山が好きなんだと彼女に話した。「ステキなところだね!」とうち。彼女は「町から1週間に1回は帰ってくるんだけど、ここに帰ってくるとホッとする、ここが好きなんだ」。この村では家族のうち3人はアメリカに住んでいるという。「今、みんなアメリカって行ってるけど、kの国でも頑張って大学行って仕事すれば、それなりに生活できるわ」と彼女は言う。
それから私はこの村に2週間お世話になった。おばあちゃんはウシ4頭とブタ3頭飼っている。ウシは朝夕と2回乳搾りをする。そして畑へウシのエサを探しに行ったり、ウシを放牧し、出会った村人とおしゃべり、そこにシンリィはいた。
彼女はいつも近所の幼い子供たちをみていた。家は百姓でウシを1頭飼っている。でもシンリィの父親は彼女が生まれる前にアメリカへ渡っていて、母親もシンリィが2歳の時、夫を追いかけてアメリカへ行ってしまったという。
だから彼女はおじいちゃん、おばあちゃんと暮らしている。シンリィにはまだ会ったことのない妹や弟がアメリカにいるという。
「私は家族と写真や電話でしか知らないの。仕送りもある。でも私はアメリカに行かないと思うの。小学校を卒業したら、学校はもう行かない。この村でウシを飼って生活するの。このウシはおじいちゃんのだから・・・」。「シンリィはウシ好き?」。「うん、好きだよ」。「うちも日本でウシ飼うね」とうちはかえした。シンリィは自分の意思があり、足を大地にしっかりつけ、しっかりとした腕で子供を抱いていた。「この村では13歳の子供が子供を産んでるの。いつも赤ちゃん連れて畑へ出てるわ。親が見てないから、みんなアメリカにお金を稼ぎに行ってるからよ」。
今頃シンリィはウシを飼って、父を搾って、チーズを作って、あのしっかりとした腕でチーズを持って、山をおり町へ売りに行ってるだろう。
あ~す農場
〒669-5238
兵庫県朝来市和田山町朝日767
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1998年12月16日号~2016年6月1日号
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