自給自足の山里から【135】「坂本龍馬に何を学ぶ」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【135】「坂本龍馬に何を学ぶ」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2010年5月1日号の掲載記事です。

大森昌也さんの執筆です。

坂本龍馬に何を学ぶ

今年の春は、初夏のようなポカポカ陽気が一転して、雪降るという寒暖の差激しく、山村の景色も激しく変わる。朝、まだ白っぽいお山は、夕方には薄赤く染まっている。春一番の梅の花が散らぬうちに、こぶしの花・山桜が白く赤く輝く。5月に咲くはずのツツジ、山吹が赤紫、黄色に早くもにぎやかに鮮やかである。
例年なら、何日かかかってのお山は赤く頬を染めるのだが、また、但馬(兵庫北部)で「お山が微笑む」と表現する花の咲き方するのだが、一気に満面の笑顔である。
「ホーケッキョ、ケキョ」とたよりなさげな鶯。チィ、チィと小鳥たちとこれまた不安気。我が農場のニワトリも、ささやかながたの気弱げなコケッコッ。私も「ホォ、ホォー」と天に向かってちっと心配気に声を発す。
梅、桃らの実り、ミツバチの蜜が心配である。

巨大原発50万羽養鶏と、小さな省力発電50羽養鶏

史上最悪の旧ソ連(ロシア)の原発事故から早くも24年になる。たまたま4月26日のこの日に生まれた娘のちえは24歳になる。まわりの兄妹から「最悪の日に生まれたちえ」なんて言われたりする。チェルノヴイリ原発事故を、人類は再び起こさない知恵を願ってちえを名付けられたことも事実である。
我が農場から40kmの若狭・福井(世界最大の原発銀座)で、2004年8月、原発事故起こる。その関西電力は、半分を原発で賄う。「原発がなくてもやっていけるように、家で使う電気ぐらい自分で賄いたい」と、エコ・エンジニアの河村さんらの助けで、小さな小力発電をその年の11月につくる。
家の前の小川の上流から取水し、浴槽で作ったろ過装置を通し、ホースで水をひき、10mの落差で発電機の水車がまわる。その音で電気の生まれ方を知る。
雨が降ると、上方800mの養鶏場から汚水が貯水槽に流れ込み、水の流れ悪くなり、音が弱り、電気が止まる。冷たい水に入って泥を除く。水車動き電気生まれる音にほっとする。毎度のことで大変である。
この養鶏場は、「トリインフルエンザ騒動」で会長夫婦が自殺した旧アサダ農産を引き継いだもの。キィー・キィーと機械音を出してのコンピュータによる反自然の50万羽巨大採卵工場である。
巨大な原子力発電に抗しての小さな我が水力発電! とともに、コケッコッコーの太陽と風と大地の小さな50羽自然養鶏が、「地球」の明日を考える」あ~す農場である。
「万分の一」だが「もうひとつふたつのあ~す農場を!」に依り、一が万に転ずるを期す。

泥まみれになっての幼い子たち

げん(28歳)の第一子つくし(6歳)が、弟すぎな(3歳)と、ケンタ(31歳)の子みのり(3歳)、ケンタの中学同級の康平君の子たちと不耕起冬季灌水の田んぼの畦を走り、ぬるぬるした土に触り、泥まみれになっておたまじゃくしなど追っている。笑顔で見守る母親たちのお腹は大きい春である。
ケンタ3歳の時、半農半配送労働で、田畑につれていくが、「こわい!」と入ろうとしなかったが、今、結婚し、弟げんとともにこの同じ山村で百姓。康平君もUターンし百姓である。
思えば友に「金も、田舎に縁も、百姓経験も、田舎暮らしの知恵も、体力もないお前には無理」とさんざん。確かに忠告の通りだが、地球環境破壊の労働は、人間たる自分の健康とともに、山国日本の源の山村の健康のため、もうやらない! 共犯者にはなりたくない! と秘かに決意。42歳の時だった。
だからこそ、山村のブラク(被差別部落)のお年寄りを師として学んだ。

春、小学校入学

つくしは今春、小学校に入学する。私は先の戦争で、天皇の命令で兵にとられ、死んだ父の生まれた農村のブラクに、母の手にひかれ命からがら引き揚げ、小学校に入る。ほとんど教室にいることなく、廊下に水の入ったバケツ持ち立たされる。バケツ置き、裏山で遊ぶ。母に叱られるのを恐れ、押入れに隠れ寝込む。行方不明で大騒ぎになり「サベツ」が分かる。
ケンタは、山村の小学校に入る。朝、近所の子たちが呼びにくる。「お腹痛い」と起きてこない。10時頃、「別に行かなくてよいよ」と言うと笑顔で起きてくる。
さ? つくしはどうなるやら。

ああ! 坂本龍馬

坂本龍馬がマスコミでもてはやされている。土佐(高知)の金持ちの息子で、下士といえど武士である。船を持って、貿易をすすめ、その後の植民地政策を打ち立てた先駆者である。明治の初頃は、土佐の龍馬だったが、全国的に名が広がったのは、日清に次ぐ日露戦争の時である。
1905年2月6日、日露交渉が決裂し、10日に宣戦。その6日7日と続けて、明治天皇の皇后の夢枕に「海軍軍人を守護す」と現れたのが坂本龍馬だという。日本海でロシア艦隊を打ち破る勝利の守護神として国威高揚に利用された。
明治初頃、人口の80%は農の民だったのが、今、4%足らずで80%がサラリーマン。そのうち70%近くがサービス業という。自分で食を賄っている者はほとんどいないという日本をつくり出した。
そして、崩壊前夜の社会を立て直す守護神として、お金持ち総理の弟にも利用される。
「縄文が1万年も平穏をつづけたのは、余剰の付属物を追わず、人間の生存を保証する大地のめぐみを必要なだけ戴いて暮らしていたからです」(中島正さん)を、肝に銘じたい。

 

あ~す農場

〒669-5238

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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