自給自足の山里から【123】「中南米を旅して2」|MK新聞連載記事
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MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2009年3月16日号の掲載記事です。
大森ちえさんの執筆です。
中南米を旅して2
乳球―母なる地球―第二の縄文時代へ
「酔いどれ天使」(黒沢映画)ならぬ「酔いどれ大臣」に、妻は、「日本一!」と。日本一ならぬ世界一の自殺国(11年連続三万人超す)。今、何が起きても不思議ないのか?
パレスチナのガザは、『アウシュビッツ』『ヒロシマ』である。問われる日本人(わたしたち)。が、“太平の眠り”を貪(むさぼ)っている。「笑顔」を認めて自動的にシャッターを切ったり、実物よりスリムに「美しく」写るデジカメがもてはやされている。こんな“無間地獄”(!?)をつくり出し、もはや止める手はないのであろうか?
「この社会を立て直すのは、“百姓と縄文”の力をおいて他にない」と励ましてくれた甲田光雄さんは、昨夏「大自然のように」と笑みを浮かべて亡くなった。「大自然の他に何ものにも依存せず、自給自足、自立独歩は、いかなる事態が来ても恐れはない」と敬愛する「自然卵養鶏の開祖」の中島正さんは言う。
日本共産党の武装闘争(山村工作隊)を経験した飯田桃さんは「アメリカ発の世界信用恐慌にゆれる全地球の人間は、無階級社会であった縄文時代の再生―第二の縄文時代へ、人類史の過渡期へ進んでゆくだろう」と言う。なによりも“乳球――母なる地球にありがとう”(やまさきあおい)である。
さて、友人から「息子たちは、家庭を形成し、家業を持ち、娘たち、自由に海外に飛び出していく。なんという素晴らしい家族をあなたは創ってきたのでしょう」(高橋恭子)、「東南アジア、中南米をかけめぐるそのパワーは、山奥の自然の中での遊びと作業が産み出すものなのでしょう」(花房弘明)と言われるなかで、以下、ちえ(10ヵ月中南米の旅)の報告です。
ちえの中南米ひとり旅……つづき
疼(うず)く春。しとしとと降る雨。大地、山々から地球の空に春をあげる。“もう春”! そんな風に想った二日後には雪。変な天気。自然がおかしくなったより、人間がおかしくなった。人がおかしくした自然。
そんなこと想いながら、異常気象のなかほとんど産まない鶏さんの卵を、発送用にふく。血のついた卵。産む時の痛みを感じる。無気力な日々続く。でも、旅の夢と感情が来て息を吹き返す。
ペルー――隣席の女性に誘われて
キューバで優しさを知り、メキシコに帰り、ボリビアを夢見た。ボリビア行きのチケットは高く、ペルー行きの飛行機のチケットを買う。
ペルーの隣はボリビア。地図見て、陸路ですぐだ。いつも私を想ってくれる韓国人の友達が見送ってくれる。ボゴダ(コロンビア)で乗りかえる。リマ(ペルー)には、夜中一時頃到着予定。リマのタクシーは怖いから朝まで空港にいた方がいい……そんなこと思いながら、外のボゴダの風景を見ていた。
そんな時、“窓側がいい”という女性に席を代わった。大きな瞳と紅い口紅の女性で、ボゴダで乗りかえ時にカメラを盗られたと哀しんでいた。高かったのよと。そして、「ところであなたは一人なの?」と聞いているよう。「ひとりです」と言うと、「リマは危険よ」。「私の兄弟のところに行きましょう」と言われたみたい。本当だった。空港には家族が待っていた。大きな荷物も人もつめこんでの車。少しすると町中へ、灯り弱く町の様子わからない。
家族の家の部屋はベッドひとつ。おばちゃんと一緒に疲れた身を休める。一週間気がつけば、おばちゃんと一緒に兄弟のところを転々としていた。
おばちゃんの身内の小さな店で、八年間日本にいた彼と四年間日本で働いていた女性に会う。日本語が通じるのはうれしかったなあ。彼女はフィリピン人だった。ダンサーとして日本へ来て、飲み屋で働かされ逃げたが、捕まり、保釈金を彼が払い、助けてくれ、彼の母国ペルーに来た。四歳の息子が走り回っている。工場で働いていた彼に、仕事はどうやった?と聞いても、いつも微笑んでいる。十九歳の時、北海道の鮭加工場で働き、仲良くなった中国の娘たちを思い出した。北京オリンピックの時帰ると言っていた。
ある日、彼女たちが、私を観光にと、首都リマの旧市街を案内してくれた時、多く(いくつか)の国旗が風に吹かれていた。日本のも。「私の国かあ」とポツリと漏らすと、彼女は、「日本の国でよかったね」と哀しい声。生活のため、その身ひとつで国境を越える人がいるなかで、パスポートで行きたい国に行ける私。「でも日本がキライ」と言うと、「日本人はそう言うね」と笑った。「うまくいかないねェ」と。
家族と別れ、バスにゆられ、山々を越えてゆく。のんびりとしたクスコを数日過ごす。
ボリビア――何も無い島で神々が誕生
広島(ヒロシマ)に原子爆弾が落とされた八月六日朝八時、バスでボリビアのコパカバーナに向かう。途中ティティカカ湖に映る山々が紅くクスクスと話してみえる表情がある。自然に表情を私は学んでいる。夕方、国境に着く。胸がドキドキ。出国(ペルー)スタンプを押してもらう。自分の足で国境を越える。祭でごった返している。人波のなか潜るようにおよいだ。飾りで人も車も賑(にぎ)やか。頭上に色紙の花びらが舞ってみえる。
車(バス)はのろのろ、ピーピーと騒がしい。インディヘナの女の子は積んだ荷物に気を配りながら「コパカバーナ」と言われて、よくわからず降りた。すっかり夜。祭でどこも満室。高い。安い宿に入り、物置みたいな部屋で寝る。
翌朝、Isla del sol(太陽の島)に行く。ビュービューと吹く風の中、三時間歩く。何も無い島に神々が誕生。同じ風の音を聞いていたかなあ。どんな太陽みていた? 新しい風が吹いた。
帰りの小さな船のなかで、家族でアクセサリーを作り、観光客に売っていた女の人と子ども二人と仲良くなった。カタコトで「私は農民」と言うと、「私も。私たちの作ったトウモロコシはおいしいわよ」とコカの葉を頬に噛みつめながら微笑んでいる。子たちにわけてもらい噛んだ。今日のおやつね。小さな男の子、瞳をくりくりさせて、「見て! あそこに僕の家がある!」。母は愛しそうにみつめていた。私も一緒に山の方をみつめていた。
あ~す農場
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兵庫県朝来市和田山町朝日767
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