自給自足の山里から【108】「あい、れいキューバへ行く」|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2007年12月16日号の掲載記事です。
大森れいさんの執筆です。
あい、れいキューバへ行く
「ああイライラする…」仕事が終わらない。「あれもこれもやらなきゃ」明日も仕事。“人生って何だろ?”“幸せって何だろ?”。日本人ならふっと想うことだろう。
いつもそんな壁にぶつかるけれど壊すことは出来ない。毎日、何のためにかわからず働く。人生って何だろ…そして人々は働くことが人生だと想いこんでしまう。さあ日本の話はおいといてキューバの話をしよう。
みんな!カリブ海にうかぶ島国キューバを知っているだろうか?私が初めてキューバを知ったのは小学生のころ。
うちの家族が百姓ってこともあって、有機農業を国をあげておこなっているキューバにはひかれるものがあった。野菜の自給率はほぼ100%だとか、本も読んだりもした。
チェ・ゲバラのことも知った。うちの姉ちえ(21)はすごくチェのことが好きでいろいろ話はきいていた。カッコイイ人だなって思ってた。
そのころ、双子のあい(18)とちえちゃん(21)3人で行こう、と言っていたが、ちえちゃんは19歳の時「10代のうちに行きたい」と言うとさっさっと行ってしまった。
そしてうちらは17歳になったころ、キューバに行くくらいのお金はたまっていた(お年玉やちょっとしたバイトで)。
そんな時、大阪から帰ってきたあいが「うちキューバに行く」と言う。手には「チェ・ゲバラ40周年記念国際ブリガーダ」の参加の呼びかけのチラシを持っている(ブリガーダ=ボランティアの意)。
今年10月9日(キューバでは8日)、チェ・ゲバラがボリビアで殺されて40年ということで、キューバ政府の友好協会ICAP(イカツプ)が主催で10/8~15までチェ・ゲバラのことをまなび、農作業の手伝いなどおこなうというものだった。
私も参加したい!と思い2人で1ヵ月ほど行くことにした。でも家族は「こんな稲刈りでいそがしい時に!スペイン語も英語もしゃべれないで!?」みたいな感じだった。
でも私は行くと決めた時から楽しみで楽しみでしょうがなかった。早く、早くキューバに行きたい。家のことも忘れてた。
あいは会う人会う人に「うちキューバに行くんだ!」と言う。でもみんな「キューバ? 大丈夫なの?」。アメリカからの情報しか頭に入ってないのだろうか?
日本って変な国だな。まったく正反対のことを言うし、いつも矛盾だらけ。そんな中、私たちはキューバへ行く。
関西空港→カナダ(1泊)→キューバと日付変更線を越えての長い空の旅を終えてCubaキューバホセ・マルティ空港に着く。
空港にはICAPのアジア担当のリコベルトさんがむかえに来てくれていた。
今にもこわれそうなボロボロのスクールバス。大音量で流れる音楽。ワクワクとドキドキで顔はにやけてしまう。ハバナから40㎞ある田舎グヤバルに向かう。まどから外を見るとオープンな家。家の中はまるみえ。テレビを見ている人、イスに座って本を読んでいる人、はまきをすっているおじいちゃん。
キスをしているカップル。手をふりながら笑顔でジャンプしてくる子供たち。みんなほぼ裸に近い服装(笑い)。まどから入ってくるキューバの風がきもちいい。
グヤバルの国際キャンプに着くとそこの管理係のおじいちゃんが私たちに「子供だね」と親しみをこめた優しい表情で言った。おじいちゃんはいつも犬と一緒にそうじをしている。
人はだんだんとあつまり、35ヵ国以上の国から200人くらいあつまっていた。
私たちの部屋は8人で、アイルランドから2人、ブラジルから2人、スペインから1人とドイツに住む日本人女性と私たち2人だった。日本人はもう30年あまりこのブリガーダには来ていないという。めずらしいみたいだ。もう1人の日本人女性はスペイン語がしゃべれるので、みんなに「あの子たち子供は何しに来てるの?」とよく聞かれたという。
うちらが一番に仲よくなったのはオリビア(31)、スペイン人だ。それからアンヘラというおばちゃんやデニィシ(26)、その彼氏ルカス(?)(ブラジル)。
うちは日本で百姓をしてるんだよとか、辞書で調べながら話す。だんだんとスペイン語を覚えていった。コロンビアやエクアドルの人たちはいつも「あーい!れーい!」と声をかけてくる。アフリカの人たちはいつもすてきな服装。毎日踊ったり、歌ったり、冗談言ったり、笑いにあふれていた。
ブラジルのカロリィナ(22)は踊りがすごくうまくて、キューバ人もびっくりしていた。
ある日、チェ・ゲバラの肖像入りのTシャツがくばられた。今日はこれを着てと言われイヤだった。何か制服みたい…なんでTシャツなんだろ?
チェ・ゲバラがイヤとかではなくて、このTシャツを着ることがよくわかんなくてイヤだった。
そんな時、『モーターサイクル・ダイアリーズ』にも出てくるチェとともに旅をしたアルベルトさん(79)の話をききにハバナへ行った。話が終わったあとオリビアたちが泣いていた。
アルベルトさんの話に感動したという。なぜか私はすこしひいてしまったが、彼女らは何か特別な想いでここにいるのかもしれない。サンタ・クララではチェとともに戦ったゲリラに会うことができた。彼らの瞳を見ているとうちはチェのこと何を知ってただろう? なんなんだろう、このもやもやする感じは…。
ある時オリビアが社会主義のことをきいてきた。「あい、れいは社会主義?」。よく知らないうちらは答えられなかった。
でも何か知りたいという感じなのでてきとうに新自由主義と言った。するとみんなびっくりして「ほんとに?」ときいてくるのであわてて「ちがう、ちがう」と言う。
そこで、キューバで出会った仲間たちにはいろいろとおしえてもらった。チェのことは、日本では英雄とかファッションだけど、彼女たちにとってはちがう。何かもっと深く、強いものがある。
それはこのTシャツを着る意味「私たちはチェのことをアイしている、社会主義者だ」と、そんなふうに感じた。
1088、チェ・ゲバラ40周年記念の式典にはTシャツを着て行った。式典にはチェの妻アレイダさんも来ていた。
そんな時、マイクの調子が悪く音がでなくてシーンとなった時、キューバ青年共産主義者同盟(UJC)の若者たちが、「なにがなんでもフィデル!」とさけび、拳(こぶし)を振り上げる。
私たちブリガーダメンバーも声をあげる。すごい式典だった。楽しかった。
キューバはどこの村に行っても子供がたくさんいた。キューバ人マイケルに「子供たくさんいいね」と言うと「ハイ」とほほえんだえがおで言う。私は「日本の村にはいないよ…」と言うと信じられないという顔していた。あの顔が忘れられない。
キューバへ行き感じたことはたくさんある。でも一番強く感じたのは、有機農業とか、野菜の自給率100%とか、この国はこれがすごいとか、どうでもいい。
大切なことかもしれないけど、それよりも一番は“人”ってこと。キューバでは人が人として生きていた。
人ってやさしい、あったかい、人のあったかさがこんなにも心があったかくなるなんて知らなかった。はじめて人間という動物が好きになった。
キューバ人に人生って何だろうなんて考える人はいないと思う。だって踊ることが人生なんだから。
そのしゅうかんで人生を楽しんでる。昼間の仕事は手をぬいて、夜、踊るためにエネルギーをのこしておく。踊ることが人生なんて、なんて楽しいんだろ! みんなキューバへ行けばいいんだ!
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