自給自足の山里から【100】「すぎなの誕生/東ティモールのゲリラ」|MK新聞連載記事

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自給自足の山里から【100】「すぎなの誕生/東ティモールのゲリラ」|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2007年4月16日号の掲載記事です。

大森梨沙子さんとちえさんの執筆です。

すぎなの誕生

「つくしだれの子、すぎなの子」ではなく、兄になった三歳のつくし。とても小さく見えたのに、今は大きく逞(たくま)しく見えてしまう。
すぎなは2月9日午前2時43分に夫のげんとつくしの見守る中、誕生した。つくしはすぐに赤ん坊の耳や手を突き、興味津々に受け入れてくれた。
お産の経過は、8日午前9時におしるしあるが陣痛はない。結局、その日、酒蔵のバイトへ行っていたげんを待つかのように、彼が帰宅した午後6時すぎから陣痛が始まった。暖冬のため雪ではなく雨の中、午前12時に病院へ行き、出産した。

本当は自宅出産をしたかったが都合つかず、妥協して病院を選んだ。その代わり、病院へ自分の希望をしっかりと伝えたつもりだったが、その場にならないと気付かないこともあり、思うようにいかないことが多かった。
一番悔いの残ることは胎盤の出し方だ。つくしは埼玉の実家近くの助産所で産んだが、赤ん坊出た後、胎盤を自然に出したくなるまで待ち、貧血のため多少出血あったが助産師さんが気で抑えてくれた。
ところが病院では、赤ん坊出てすぐ医者がお腹を押し、無理矢理胎盤をひっぱり出し多量出血した。医者にとっては出産が日常のただの作業の一つのようにうかがえた。
助産所では、一つ一つのお産に対し全身全霊で尽くす助産師さんの姿があった。今でもときどき、尊敬の念で思い出す。
産後の入院中は母乳のために考え尽くした玄米菜食を一緒にとり、学ぶこと多きお話をしてくれた。病院では毎日違う助産師さんが検温など、決まった仕事をしに来るだけ。
もちろん親切な方もいたが、やはり大量に何かをこなそうとすると、どこかが疎(おろそ)かになるのは病院も養鶏場も田畑、パン焼きも同じだ。何でも小規模でないと良いものはできない。

退院後、無機質な空間から自宅へ戻ると驚くほどほっとした。家には夫しかいないが、ちょうど農閑期なので全ての家事につくしの世話を引き受けてくれた。
これも百姓の良いところだ。子どもの頃はよく家事をしていたげん、久しぶりの家事に玄米をかまどでカチカチに炊いたりもしたが、産後一ヵ月の間に料理も洗濯もリズム良くこなすようになった。
子どもには淡泊だったが、つくしとの絆も深くなり、すぎなに対しても、つくしが赤ん坊の頃よりイライラせず、上手に抱くようになった。私にもとても気づかってくれ、お互いの信頼が深まったように思う。
思えば、二人で暮らし始めた四年前から人数が倍になり、とても大切な「家族」ができあがっている。たくさんの壁を一緒に乗り越えてきた分、ささいな行き違いが減り、深い思いやりが生まれてきた。
34年間夫婦をしている私の両親に比べたらまだまだだが、一年一年、いや、一日一日を重ねながら、深い深い信頼関係に結ばれた家族を紡いでいきたいと思う。この山の中で。
(大森梨紗子)

東ティモールのゲリラ

(前回からのつづき)
東ティモールの東部のイリオマールに行く。山奥である。広がる風景。車が停まる。降りると墓が、いくつかあった。案内され、行くと、二つの墓があった。ここは、二人のゲリラが処刑された場所だと聞く。
その左の上の方に、五つの墓があった。目の前にある山々で闘っていたゲリラの司令官の親戚が、インドネシア軍に「司令官の居場所を言え」と言われた時、言うことはなかった。
軍は手を出さないで、五人で殺し合えと……死んだ。手を合わせる。本当の東ティモールの一部を知る。
イリオマールの村に入る。東ティモール日本文化センターの図書館がある。日本語の絵本がある。英語にして、テトゥン語にする。アイヌの絵本もあった。
その後、車で四十分のところにあるジャングルみたいなアイララン(森)の中を進む。鹿も猿もいる。水田が突然、目の前に広がった。きれい!水牛が水たまりでのんびりしている。孟宗竹の下を水牛が歩く。昔、日本にもあった風景なんだろう。時が止まった!!
インドネシア軍との二十四年間の闘いで、水田は、激戦地となって、お米をつくれなかった。また、インドネシア軍が撤退の時、水路等を破壊していって、まだまだ水田として使うことのできないところは多い。

家から水田まで遠いので、水田の近くに家を構えている。そこで、“どぶろく”をいただく。うまい!
車のエネルギー補充のため隣県の村に寄る。その時、河を通った。「大丈夫?」と思いながらワクワク。渡ってから、運転の彼が、「この河、雨季には絶対渡ったらいけない」と言う。今は雨季です(大笑い)。帰りも渡る。今年はそれだけ雨が降らない。
12歳くらいの少年が、魚を売っていた。30~40㎝の大きな魚が四十セント。
帰路のアイララン(森)には、闇が歩み寄り、すっかり暗くなってきていた。ここでゲリラたちは闘っていたと聞いて、全身で、その想いを思わずにいられない。
私は、隣の家族にお世話になる。朝起き、外へ行くと、豚は自由に歩き、猿のところに行き、コテンと倒れた。猿が上に乗り、毛づくろいしている。何にもしばりつけられることなく自然に歩く犬やトリたちにうれしくなる。
目の先に、マタビアン山がある。デビッド・アレックスがいた山である。ティモールのチェ・ゲバラと呼ばれている人。
おばあさんに、ボンディア(おはよう)とあいさつすると、おどろきの表情から、つつむような笑顔にララン(心)は喜びにいっぱい。
イリオマールには、キューバの医師が二人来ていた。一人に会う。瞳がキラキラしている。すごいなぁ、キューバ。
日本に帰ると、兄たちに、子どもが生まれていた。すぎなとみのり。かわいい二人が大きくなった時、世界はどうなっているんだろう?

(大森ちえ)

 

あ~す農場

〒669-5238

兵庫県朝来市和田山町朝日767

 

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MK新聞への「あ~す農場」の連載記事

1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)

2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)

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