エッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」【375】|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、大西信夫さんによる様々な身近な事柄を取り上げたエッセイ「本だけ眺めて暮らしたい」を前身を含めて1988年5月22日から連載しています。
MK新聞2019年7月1日号の掲載記事です。
本だけ眺めて暮らしたい
自宅から自転車で五分以内のTSUTAYAが閉店してしまった。少し前には、同じく十五分のところにあって、仕事帰りに立ち寄ることのできた店舗も既に閉店していた。
これで私が日常手軽に利用できるTSUTAYAは遂になくなった。
ビデオのレンタルで利用していたのだが、大げさに言うなら、「本と音楽と映画が楽しみである私の今後の人生の三分の一をいったいどうしろというのか!」と途方に暮れる由々しき事態。
映画はまず、基本的にスクリーンで観る。私はそれほど熱心なほうではないと思うが、よく観た時期で年間百本くらいだったか。今はもう、あまり行かなくなったが。
テレビでおもしろそうな映画を放送する時は、それも録画して観る。
ビデオレンタルは、スクリーンで観たかったのに機会を逸した作品、京都では上映されなかった小規模市場の作品、テレビで放送されないようなアート系作品や放送するには刺激が強過ぎる? 作品、劇場未公開作品などに接する、重要なチャンネルの一つだった。
レンタルビデオという業態を駆逐しつつあるネット配信。私は利用していないが映画好きな友人が利用していて、彼が言うには、観られるのはメジャースタジオの大作映画やヒット作品などが中心で、意外に選択肢が少なく、あまり観たい作品がないという。
ネットはDVDのような物としての商品である必要はないし、公開上の物理的制限もないから、むしろ市場規模が小さい映画でも多様に品揃えするのに向いていると思うのだが、業界の論理ではそうならないようだ。
ところで、最寄りの店舗が閉店する直前、『華氏451』のリメイク版を借りてきて観た。
『華氏451』は本が禁止された未来の思想管理社会を描いたSFで、レイ・ブラッドベリの小説をフランソワ・トリュフォーが一九六六年に映画化した名作だ。
オリジナルでは、人々はテレビ(映画製作当時の先端メディア)に洗脳され何の疑問も持たず平穏に暮らしていた。
二〇一八年に公開されたリメイクではネットに依存する人々が画一化した価値観で人生を送っている。地下組織で本を守り伝える活動をしている登場人物が言う。(禁止以前の問題として)人は自ら望んでこのような社会にしたのだ、と。
現実の社会を振り返っても、禁止されているわけでもないのに人は本を読まなくなっている。ただ、ニュースになるほどのベストセラーは読む。大ヒット映画だけは観たい。メディアが情報を教えてくれる「あれが売れてるよ」と。いや、売れてるものを知りたい人々にメディアが応える。ネットで人々が教えあう。「コスパのいい」情報。時々フェイクあり。
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MK新聞への大西信夫さんの連載記事
1988年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1988年5月22日号~1991年11月22日号 「よしゆきの京都の見方」(45回連載)
1990年1月7日号~1992年2月7日 「空車中のひとりごと」(12回連載)
1995年1月22日号~1999年12月1日号 「何を見ても何かを思う」(64回連載)
1996年4月16日号~現在 「本だけ眺めて暮らしたい」(連載中)