醍醐寺の枝垂桜は京都観光のプロが激推しする桜スポットの頂点
日本の歴史上、もっとも有名なお花見といえば、1598年に行われた「醍醐の花見」でしょう。
豊臣秀吉が醍醐寺で開いたお花見は、今も盛大さがさまざまなエピソードとともに語り継がれています。
醍醐寺の桜は、MKタクシードライバー対象に行ったおすすめ桜スポットランキングで、見事1位に輝きました。
MKタクシー、イチオシの桜です。
醍醐寺の桜
見頃は3月下旬~4月上旬
- 3月下旬~4月上旬に見頃の枝垂桜と
- 4月上旬に見頃のソメイヨシノ
下醍醐伽藍の桜
数々の国宝建築を彩る枝垂桜
豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られる醍醐寺は、古くから京都を代表する桜の名所でした。
醍醐寺は、醍醐山の山上から麓まで広大な寺域がありますが、本堂にあたる金堂などがあり、伽藍の中心をなすのが下醍醐です。
下醍醐は、各所で枝垂桜やソメイヨシノ、ヤマザクラ(山桜)が咲き誇ります。
平安時代に建てられた和歌山県湯浅の満願寺本堂を移築した醍醐寺の金堂は、国宝に指定されています。
4月初めには、すぐ脇にある枝垂桜が咲き誇ります。
京都最古の建造物である醍醐寺の五重塔は、高さ38mのうち相輪が1/3の13mを占めた独特のプロポーションです。
京都には五重塔は海住山寺(木津川市)、八坂の塔(東山区)、仁和寺(右京区)、東寺(南区)、成相寺(宮津市)とありますが、醍醐寺が最も美しいという人も多いです。
醍醐寺の五重塔はたびたび兵火や災害で損傷を受けてきましたが、そのたびに修復されて1,000年以上健在です。
五重塔のすぐ前で美しい枝垂桜が咲き誇ります。
醍醐寺は、2018年の台風21号で甚大な被害を受けました。
拝観受付でもある醍醐寺の仁王門付近は、以前と様子が一変しています。
しかし、桜の被害は最小限で済み、2019年以降も美しく咲き誇ってくれています。
歴史に残る花見を再現した「豊太閤花見行列」
醍醐寺境内の拝観料が不要な桜の馬場や雨月茶屋付近の桜も見事です。
桜馬場は、両側にソメイヨシノが咲き誇り、頭上を覆います。
4月の第2日曜には、豊臣秀吉の花見を再現した「豊太閤花見行列」が醍醐寺で盛大に開催されます。
豊臣秀吉や北政所らに扮した時代装束に身を包んだ300名の行列が桜馬場から金堂までの醍醐寺境内を練り歩きます。
2024年の豊太閤花見行列は4月14日(日)に開催予定です。
霊宝館の枝垂桜群
醍醐寺の名宝を所蔵・展示する霊宝館
醍醐寺霊宝館は、醍醐寺が所蔵する国宝69,419点、重要文化財6,522点を数える文化財の多くを展示・保管しています。
国宝の薬師三尊像がメインの展示で、その他は展示替えによって順次公開されます。
桜の時期は、ついつい桜に目を奪われてしまいますが、醍醐寺霊宝館の所蔵品も超ハイレベルなので、じっくり見てもらいたいところです。
特に快慶作の不動明王坐像(重文)は必見です。初めてみたときは、何の予備知識もなかったのに、その美しさと凛々しさに体が震えました。
21世紀になって人気急上昇の「醍醐大しだれ桜」
醍醐寺霊宝館は1935年に開館し、2001年には平成館が増築され、
増築と同時に周辺の木々を伐採し、それまで隠れていた立派な枝垂桜が見えるようになりました。
桜の名所として古くから知られる醍醐寺ですが、霊宝館の枝垂桜が有名になったのは増築以降のことです。
それ以前の桜の写真集などでも、醍醐寺霊宝館の枝垂桜が取り上げられているのは見たことがありません。
醍醐寺霊宝館の周囲には大きな枝垂桜は数本ありますが、中でも大きな樹齢180年の桜は「醍醐大しだれ桜」と称されます。
東西24m、南北20mもありましたが、2018年の台風21号によりやや小さくなりました。
それでも、圧倒的な存在感の美しい桜です。
外からだけでなく、醍醐寺霊宝館の中からも眺められるようになっています。
甚大な被害を受けた2018年の台風21号
醍醐寺霊宝館の桜として、もうひとつ取り上げたかったのが、ソメイヨシノです。
京都でも最大・最古といわれる樹齢100年のソメイヨシノが、醍醐寺霊宝館前で2017年まで毎年華麗に咲き誇っていました。
間違いなく京都一のソメイヨシノでした。
しかし、2018年の台風21号により、根元から折れてしまいました。
諸行無常とはいえ、残念なことです。
しかし、折れた根本から新しいひこばえが伸び始めています。
かつてに姿を取り戻すことはできませんが、生命の力強さを感じさせてくれます。
※ひこばえ…切り株などの根元から新たに生える芽のこと
三宝院の枝垂桜群
樹齢150年の「太閤しだれ桜」
三宝院(さんぽういん)は醍醐寺の塔頭のひとつですが、三宝院門跡は、醍醐寺座主(ざす)と真言宗醍醐派管長を兼ねる、格式の高い寺院です。
応仁の乱で焼失したのを、「醍醐の花見」のときに秀吉が再興しました。
特別名勝・特別史跡に指定されている醍醐寺三宝院庭園は、秀吉自身が基本設計したものといわれています。
全国でも特別名勝と特別史跡の二重指定を受けている庭園はまれです。
他には京都の金閣寺、銀閣寺と平城京左京三条二坊宮跡庭園(奈良県)、毛越寺庭園(岩手県)、小石川後楽園(東京都)、旧浜離宮恩賜公園(東京都)、一乗谷朝倉氏庭園(福井県)、厳島(広島県)があるだけです。
醍醐寺三宝院の桜といえば、大玄関の前にある樹齢150年といわれる枝垂桜の「太閤しだれ桜」です。
画家の奥村土牛がこの桜を主題とした絵を描いたことから、「土牛(どぎゅう)の桜」とも言われます。
2018年の台風21号により少なからぬ被害を受けましたが、翌2019年も見事に咲き誇りました。
技術の粋を集めた「クローン桜」
太閤しだれ桜の向かい側には、太閤しだれ桜のクローン桜である「太閤千代しだれ」があります。
ソメイヨシノをはじめとした桜の園芸品種は、接ぎ木で増やすために全ての個体が同じ遺伝子を持ち、ある意味クローンであることはよく知られています。
一方枝垂桜は、若い個体であれば接ぎ木も可能ですが、高齢の個体では接ぎ木は困難で種から育てるのが普通です。
種から育てた個体は異なる遺伝子を持つため、少なからず見た目が変わってしまいます。
この太閤しだれ桜のクローン桜は、住友林業のバイオ技術によって実現した桜です。
2004年に植えられ、年々成長しています。
醍醐寺について
醍醐寺のあゆみ
真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺は、貞観16年(874年)に理源大師聖宝(しょうぼう)によって創建されました。
「醍醐」とは今のバターやヨーグルトのような乳製品で、おいしい食べ物の代名詞です。仏法の教えのすばらしさを醍醐にたとえ、醍醐寺と名付けられ、
醍醐寺創建当初の伽藍は、醍醐山上の今の上醍醐に広がっていました。
醍醐天皇の庇護によって醍醐寺の伽藍は醍醐山の山下にも次第に広がり、延長4年(926年)には下醍醐に金堂が建立され、下醍醐が醍醐寺の中心になりました。
上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)が西国三十三箇所霊場の第11番札所になるなど、醍醐寺は皇族や貴族だけではなく多くの巡礼者の信仰も集める寺院になりました。
平安時代から醍醐寺には多数の桜があったと考えられ、鎌倉時代の「天狗草紙絵巻」では、満開の桜の下で催されている醍醐桜会の様子が描かれています。桜会自体は他の寺社でも行われていましたが、醍醐寺では法会が終了後に観桜の宴を催すのが習わしでした。
平安時代から室町時代を通じて醍醐寺は大いに発展しましたが、応仁の乱では大きな被害を受け、下醍醐では五重塔をのぞいて伽藍が失われてしまいました。
豊臣秀吉の支援で醍醐寺の伽藍復興が始まり、慶長3年(1598年)に醍醐で盛大に行われた「醍醐の花見」は有名です。
醍醐寺五重塔は、京都に数ある五重塔の中でも最も優美な塔といわれます。五重塔は天暦5年(951年)に建てられたもので、京都で最も古い建物でもあります。
醍醐寺では建物だけでも金堂、五重塔、清滝宮拝殿、薬師堂、三宝院唐門、三宝院表書院が国宝に指定されています。
その他にも醍醐寺は絵画、彫刻、書跡、文書など膨大な量の国宝を所蔵しています。
そのこともあり、醍醐寺は1994年には世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつに指定されました。
醍醐寺が総本山である真言宗醍醐派は、末寺1,000を超える巨大教団です。古義真言宗では最も多くの寺院が含まれます。
京都の法界寺(伏見区)、金胎寺(和束町)のほか、松尾寺(奈良県)、品川寺(東京都)などの著名な寺院も真言宗醍醐派です。
醍醐寺と桜
醍醐寺と桜に関する最も有名なできごとは、豊臣秀吉が行った「醍醐の花見」です。
慶長3年(1598年)3月15日に醍醐寺で大がかりなお花見が行われました。
この3月15日は、太陽暦(グレゴリオ暦)では4月20日になります。
今の感覚だと4月20日にはもう桜シーズンはほぼ終わっていますが、当時の桜の満開は4月中旬ごろだったので、ちょうど満開の時期に行われたことになります。
2023年は3月24日に満開を迎えたので、この400年余りで1ヶ月近く桜の開花がずれています。
醍醐の花見の前年の慶長2年(1597年)の桜シーズンに醍醐寺を訪れた豊臣秀吉は、桜の見事さに感嘆し、翌年の醍醐の花見を企画しました。
豊臣秀吉は、醍醐の花見を行うにあたって、何度も自ら醍醐寺の下見を行いました。
醍醐寺三宝院の庭園も、醍醐の花見にあわせて豊臣秀吉が基本設計したものです。
醍醐寺の伽藍復興も急速に進められ、修理・再建されたばかりの真新しい建物で醍醐の花見は行われました。
醍醐の花見では、吉野や畿内各所から集められた700本の桜が、総門から仁王門へと続く桜ノ馬場を中心とした境内各所や醍醐寺の山腹へと植樹されました。
元はそれほど桜が多くなかったであろう醍醐寺が、あっという間に桜で覆われたのです。一夜城伝説で知られる豊臣秀吉ならではの剛腕です。当時の人々はそれだけでもさぞかし驚いたことでしょう。
花見当日はおだやかな快晴に恵まれ、参加者は境内各所に設けられた御茶屋でお茶や酒宴を楽しみながら桜を楽しみました。
醍醐の花見に参加したのは、1,300人もの人数です。
豊太閤花見行列は300名は4分の1以下の規模です。なお、葵祭の祭列が500名、時代祭の祭列が2,000名です。いかに大規模なお花見だったかがわかるでしょう。
醍醐寺の門跡であった義演の日記にも醍醐の花見は「筆舌に尽し難し」との感嘆を記されるほどの大成功をおさめました。
醍醐の花見のエピソードとしてよく知られているのは、盃争いです。
宴の席で正室の北政所の次に盃を受ける順をめぐって側室が争ったという話しです。
側室として序列2位であった松の丸殿と、秀頼の生母である淀殿が争い、機転をきかせた前田利家正室のまつが割って入って、年齢順だとして自分が盃を受けることで丸くおさめたという逸話です。
醍醐の花見は、朝鮮出兵がうまくいかず、豊臣秀吉自身が健康問題を抱えるなかでうさばらしとして行われたといわれます。
加えて、豊臣秀吉の支援で復興した醍醐寺で巨大イベントをおこなうことで、寺社勢力への求心力を高めるという政治的な意図があったとも指摘されています。また桜を取り込むことで、朝廷の第一人者である関白として王朝文化の継承者であることを示す目的もあったでしょう。
そして、何よりは豊臣秀吉が心から桜を愛していたのでしょう。
豊臣秀吉が亡くなったのは、一世一代の華麗な醍醐の花見を終えてわずか5ヶ月のことです。
日本史上最も出世した稀代の英雄の最期の大舞台がここ醍醐寺でした。
この醍醐の花見は、日本の桜文化のおいても画期となることだと評されます。
それまでの貴族や武家などの上流階級を中心とした文化だったお花見を、いわば俗化することで庶民へと解き放ったのです。
安永9年(1780年)に刊行された都名所図会でも、醍醐寺の境内には一円満開の桜が描かれています。
主要伽藍の配置も今とほとんど変わりません。江戸時代の人々も今と同じように醍醐寺に咲く桜の景色を愛でたのでしょう。
万治元年(1658年)に刊行された「洛陽名所集」でも、醍醐寺境内にはたくさんの桜が描かれています。
当時から醍醐寺と言えば桜だったのでしょう。
拝観情報
拝観時間 (下醍醐) | 9:00~17:00(発券は16:00、入門は16:30) |
拝観料 (下醍醐) | (春期)3月20日~5月15日 (秋期)10月15日~12月10日 大人 1,500円 中高生 1,000円 小学生以下 無料 (通常期) 大人 800円 中高生 600円 小学生以下 無料 |
TEL | 075-571-0002 |
住所 | 京都市伏見区醍醐東大路町22 |
アクセス | 地下鉄「醍醐」より10分 |
公式ホームページ:世界遺産 京都 醍醐寺
醍醐寺霊宝館「公家ゆかりの寺宝」
開催期間 | 2024年3月20日(水祝)~5月6日(月) |
拝観時間 | 10:00~17:00 |
拝観料 | 下醍醐・三宝院との共通券 |
1991年1月9日のMKタクシー山科営業所における全員業務集会では、醍醐寺の宗務総長である仲田順和様にご講話いただきました。
2011年4月5日のMKタクシー西五条営業所における全員業務集会では、醍醐寺の総務部長である仲田順英様にご講話いただきました。
2011年4月7日のMKタクシー伏見営業所における全員業務集会では、醍醐寺の教学部長である田中祐考様にご講話いただきました。
おわりに
冒頭で紹介したとおり、醍醐寺は京都は京都観光のプロであるMKタクシーのドライバーが選ぶおすすめ桜スポットランキングで1位となりました。
MKタクシーの観光ドライバーであれば、醍醐寺のような定番スポットから穴場スポットまで、いろんな桜スポットを把握しています。
MKの観光貸切タクシーなら、京都の春を心行くまで楽しむことができます。
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