北京紀行④ 中国革命と二人の女性、アグネス・スメドレーとニム・ウェールズ|MK新聞連載記事

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北京紀行④ 中国革命と二人の女性、アグネス・スメドレーとニム・ウェールズ|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
2016年に北京などを訪れた際の連載記事の第4回です。
MK新聞2017年5月1日号の掲載記事です。

北京紀行④ 中国革命と二人の女性、アグネス・スメドレーとニム・ウェールズ

魯迅博物館にあるアグネス・スメドレー像

魯迅博物館にあるアグネス・スメドレー像

2016年の10月22日、北京で魯迅記念館の庭にあった3つの胸像の最後はスメドレーだった。
2005年にたまたま買ってあった『アグネス・スメドレー炎の生涯』(ジャニス・マッキンノン、ステイーヴン・マッキンノン著、原著1989。石垣綾子・坂本ひとみ訳、筑摩書房、1993)は400ページを超えるずしりと重い本だ。

『アグネス・スメドレー炎の生涯』(ジャニス・マッキンノンほか著)

『アグネス・スメドレー炎の生涯』(ジャニス・マッキンノンほか著)

父のチャールズは1879年にミズーリ州の、アメリカ独立戦争時代の野営地にやってきた。
彼は近所に住むサラ・リディアと駆け落ちし、野営地から1.6㎞離れた吹きさらしの2部屋だけの小屋に住んだ。
そしてアグネスは1892年2月23日、生まれた。

5人の子供の2番目だった。
女中奉公、女工、などを経て臨時教員となり、1918年、第一次大戦中に反戦デモに参加して投獄された。
1928年12月、ソヴィエト・満州国境を越えて中国に入ったが、最も驚かされたのは日本帝国主義の脅威だった。
そして制度としての結婚に反対し、子供を持つと女性は政治参加を制限されると主張した(200ページ)。
セックスに大胆になっていたアグネスは、数週問の問、「ズボンさえはいていれば」街で見つけた男を家に連れて帰り、若い水兵はあまりの激しさに家から飛び出したという(169)。
1930年代後半から40年代にかけて、中国共産党の大義を倦むことなく提唱し、〝中国革命のジョン・リード〟と呼ばれた(序文)。

国民党の軍服を着たスメドレー(『アグネス・スメドレー炎の生涯』から)

国民党の軍服を着たスメドレー(『アグネス・スメドレー炎の生涯』から)

やがてアグネスの大きな転換点がやってくる。
紅軍の農民は冬の雪中での行進と戦闘で腫れあがって血まみれ、生涯野蛮な労働しか知らず、治療されない傷を持ち、かたい血だらけの足を引きずっていた。
「私はここ数年間、紅軍について書いてきた。しかし、紅軍との真の触れあいといえるのはこれら農民とのものが初めてだった。私はウールの洋服と毛皮のコート、暖かい靴下と革の靴を身に着けていた」(210)。
そして、西安の張学良の本部から毎晩、英語の放送を始めることになり、それは南京発の国民党の公式声明とは異なる事実を伝え、これによってスメドレーの名は国際的になり、中国共産党の擁護者として歴史に刻まれることになった。
また、延安の八路軍の指導者の中で特に周恩来と朱徳から信頼され、戦闘地帯を自由に旅する許可を与えられた(256)。

アグネス・スメドレーが撮影した50歳の誕生祝いの日の魯迅(『魯迅選集』から)

アグネス・スメドレーが撮影した50歳の誕生祝いの日の魯迅(『魯迅選集』から)

さて、肝心の魯迅との関わりだが、それは彼女の著作の一つ『中国のうたごえ』(原著1943年。高杉一郎訳、みすず書房、1957)に記されている。
これは先の『炎の生涯』と同時に買ってあって、本文の紙は薄茶けている。これも400ページを超え、しかも8ポ二段組み。

1930年2月、魯迅も発起人の一人である左翼作家連盟が成立し、二人の訪問者が魯迅の50歳の誕生日を祝う晩餐会のためレストランを借りてほしいとアグネスに依頼した。
100人の招待者は皆〝危険思想〟の持ち主ばかりだった。
当日、魯迅は夫人と小さな子供を連れて来た。
「私が中国にいた全期間を通じて一番大きな影響を受けたその人」は、背が低く、きゃしゃで、クリーム色の中国服、やわらかいシナ靴を履き、短ぐ刈った髪の毛がブラシのように立っていた。
彼とは初対面のアグネスはドイツ語で話をした。
「その態度、話術、身振りが完全に統一された個性のなんともいえぬ調和と魅力を放って」いた。
この日、彼女が庭で撮った魯迅の写真が残されている(『魯迅選集』七、岩波書店、1956)。

やがて魯迅と交渉があった作家、編集者、美術家たちが「跡形も残さず姿を消しはじめ」、幾年かの間、検閲による削除のない彼の作品を出版することがでぎたのは日本の左翼インテリゲンチャだけだった(81)。
誕生祝いの翌年1931年1月17日、魯迅の学生で、友人でもある柔石ら24人が逮捕され、2月7日に全員秘密裏に殺害された。
アグネスが魯迅の家に馳せつけたとき書斎の彼は暗い顔をし、髪の毛を乱し、頬は落ちくぼみ、「その声は憎しみに満ちていた。
「あの晩書いたものです」と、原稿「深夜に記す」を差し出し英語に翻訳して外国で発表するように頼んだ。

1936年、56歳の魯迅を肩と胸の激痛が襲い、喘息にもなった。
静養を勧めるアグネスたちに彼は「ほかの人たちが闘い、死んでいるというのに、一年間も仰向いたまま寝ていろと言うんですか? 中国は私を必要としでいる、誰かが踏みとどまって闘わなければならないのです」。
そして10月19日、永眠。
アグネスは1950年5月6日、ロンドンで手術後に死去、その遺骨は北京の革命家共同墓地に埋葬され、墓石には朱徳の筆で「中国人民之友美國革命作家」と刻されている(『現代人物事典』松岡洋子記)。

『中国に賭けた青春』(ニム・ウェールズ著)

『中国に賭けた青春』(ニム・ウェールズ著)

と、ここまで書いてきて、じつはもう一人のアメリカ女性に呼びかけられた。というのも次の日、北京言語大学で偶然入手した「チャイナ・デイリー(中国日報)」10月22・23日号のカヴァーストーリーの文字「Snow」が飛び込んできたのだ。
日本では『中国の赤い星』で有名なあのエドガー・スノーの妻、ヘレン・フォスター・スノー、(離婚後名)ニム・ウェールズを扱った二面全部を使った記事だった。
その伝記『中国に賭けた青春』(原題MY CHINA YEARS 1984。榛名徹・入江曜子訳、岩波書店、1991)も2008年に買ってあり、これも500ページを超えるが、伝記ではない。その中国体験を記した手記をもとに編集されたもので、アグネスと違って、魯迅との直接の接触はない。

興味を引くのはその中国人理解である。彼らは「自己の家族内における地位なくしては生きていくことができない。すべての中国人は、この古い制度の内部に自分が占めるべき場と身分を持っており、その地位に応じて他人からの要求にこたえる」(137)。
1937年4月30日、国民党の厳重な警戒網をくぐり紅軍の前線司令部に入った。延安の古い煉瓦造りの建物の中庭で、毛沢東は気さくで、冷静で、好奇心にみちていた。
この人はまさに中国人だ。
アグネスは、毛沢東が皮肉で女性的だと感じ、一目で嫌いになったと語った」(375)。

ニム・ウェールズが撮影した延安の毛沢東、朱徳、アグネス・スメドレー(『中国に賭けた青春』から)

ニム・ウェールズが撮影した延安の毛沢東、朱徳、アグネス・スメドレー(『中国に賭けた青春』から)

ニムの眼に映じた紅軍の兵士は、「常に無人の建物か農民の家に宿泊し、数分間かまどを使っただけでも支払いをし、使った場所を元通りに、あるいはそれ以上に清潔に整頓した。この信じがたい私有財産の尊重は、共産主義運動においては驚異的なものだったが、これこそが大衆の支持を獲得し、持続させる大きな要因だった」(401)。

ニムの生まれ育ちの詳細はよくわからない。有名な『アリランの歌―ある朝鮮人革命家の生涯』(原著1941年。松平いを子訳、岩波文庫、1987)の梶村秀樹の解説では、ユタ州の法律家の娘として何不自由なく育ったという。
1978年、72歳のニムは映画撮影班を伴って中国を訪れている。
1997年没。

(2017年4月9日記)

 

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、35年間にわたってMK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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