京都こころ会議を聴講して「果たして市民に開かれていたか?」|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
第1回京都こころ会議を聴講して「果たして市民に開かれていたか?」の記事です。
MK新聞2015年11月1日号の掲載記事です。
京都こころ会議を聴講して「果たして市民に開かれていたか?」
豪華な顔ぶれ
2015年9月13日(日)、第1回京都こころ会議が開かれた。
講師は話題のゴリラ学の京都大学総長山極壽一や中沢新一など、へぇーと思わせる豪華な顔ぶれで、会場は京都ホテルオークラと、これも一流。
午前9時半開始、終了5時という長丁場。
「京都大学こころの未来研究センター」センター長吉川左紀子が挨拶、このセンターは8年前の2007年4月に設置され、心理学、神経科学、宗教学、倫理学などの研究者が学際的に協力してきたものという。
初めに中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長、1950年生まれ)「こころの構造と歴史」、次が河合俊雄(同センター教授、1957年生まれ)「こころの歴史的内面化とインターフェイス」、昼食休憩80分を挟んで、広井良典(千葉大学法政経学部教授、1961年生まれ)「ポスト成長時代の“こころ”と社会構想」、下條信輔(カリフォルニア工科大学生物・生物工学部教授、1955年生まれ)「こころの潜在過程と“来歴” ―知覚、進化、社会脳」、山極(1952年生まれ)「こころの起源―共感から倫理へ」。
以上各1時間の講演の後、5人による討論は1時間。
演壇背後の大型スクリーンに講演の概要が映され、会場の両側にもスクリーンが下げられ、会場後部からも見える配慮がされていた。
さて、肝心の講演の中身だが、中沢は3ページのレジュメを用意し、会場で配布された。
今これを見直しても内容が記憶に戻ってこない。
ただ有名なロートレアモンの「解剖台の上でミシンと雨傘の偶然の出会い」という詩のことだけが思い出される。
中沢以外はプリントされたものは用意されていなかった。
西欧の内面化の歴史
河合によると、フロイトの『夢判断』の刊行(1900年)でキーワードとしての「無意識」が誕生したが、現在は「脱認知枠」がキーワードになっていて、これが西欧の内面化の歴史だという。
キリスト教は一人で隠れて祈ることを2000年続けてきたが、唯一神信仰が他の魂を徹底的に否定し、自然の心、魂を否定した。
ユング派の箱庭療法の箱庭は外化された心であり、内面でもあるが、錬金術はフラスコの中でなされた抽象化、物質化であった。
現在のネットワーク社会は常に外とつながっており、閉じこもれない。
プライヴェートがなく、原理的には世界中に広がり、フェイスブックの主体は境界がない。
などなど、手元にかなりのメモが残っているが、それはこれまでに河合隼雄の著書を何冊か読んでいて、ユングの『自伝』も読んでいたからで、隼雄やユングを未見の人が、この俊雄の話をどれだけ理解できただろうかと思う。
日本の重荷
広井は冒頭にイギリスの『エコノミスト』2010年の日本特集「ジャパンズ・バードン(重荷)」の表紙を映したが、そこには巨大な日の丸に押し潰されそうな男の姿があり、広井は「人口減少と高齢化社会」は先進国の趨(すう)勢であり、その意味で日本は世界のフロントランナーだという。
自然の搾取と経済成長の相関を見ると、経済の定常期が文化創造の時代だったと指摘する。
実はこの日の会議の1週間後、偶然広井の『コミュニティを問い直す』(ちくま新書、2009年、900円)を270円で入手しており、そこには紀元前5世紀を中心とする前後数百年の間にギリシャの哲学的思考、インドの仏教思想、中国の諸子百家、イスラエルの旧約思想が生まれたとある(252ページ)。
その特質は「普遍性への志向」であり、なら「物質的な拡大成長から内面的深化や欲望の際限ない拡大の抑制」という特質をもっていたのではないかという(267ページ)。
講演に戻ると、こころとまちづくり(コミュニティ)という点で、日本は社会的孤立度が世界で最高であり(OECD加盟国の2001年のデータ)、広井は、高齢者がゆったり過ごせる場所が街の中にあることが題字だと指摘した。
お手上げの話
次の下條は私にはまったくのお手上げで、メモが一語も残っていない。
図書館から彼の書著『まなざしの誕生 赤ちゃん学革命』、『サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ』、『「意識」とは何だろうか』を借り出して目を通してみたが、結局入り込めなかった。
『まなざしの誕生』(1988年)には「専門外の人に面白がってもらえないようなら、本当の学問ではない」という確信(2iページ)が述べられているのだが。こちらの読解力の問題か。
セックスを隠す人間
山極は倫理の黄金律として「人がしたいことをせよ」をあげた。
これは「自分がしてほしいことを他人にもせよ」ということだろうが、ビンティという猿が危険なところに落ちた3歳の人間の子供を助ける映像を見せてくれた。
彼によると、食事を公開しセックスを隠すのは人間だけで、動物は孤食である。
争いが起きても互いのメンツを保ったままけんかはしない。
社会の発展と脳の大きさは正比例する、などなど。
高級なおしゃべり
以上の講演の後に、5人の1時間にわたる意見交換・討議があったが、受講者でその中身を理解できたのは何人いただろう。
学者ムラの住人の高級なおしゃべりになってしまったのではないか。
そして、鎌田東二(同センター教授)がかなり高ぶった口調でまとめの言葉を述べたが、おそらく主催者としては「大成功」と考えたからだろう。
私もアンケートに「この企画をした主催者に敬意を表したい」と書いたが、大阪に帰る阪急電車の中で、あれは誰のための会議だったのかと考え直した。
中沢、河合、下條の話はかなりの予備知識が必要ではなかっただろうか。
わからなくてもいいから、レベルの高いものをと主催者が考えたのか。
あるいは大多数の受講者は京都の市民、学生で、知的レベルが高いから、レジュメなども不要と思ったのか。
メモを取るには膝の上を使うしかなかった。
生々しさがほしい
企画はたぶん半年以上も前から検討するのだろうが、広井以外には現実社会の“生々しさ”が欠けていた、学問とはそうしたものなのだろうが、例えば、国境なき医師団や、アフガニスタンの砂漠の農地化に挺身しているペシャワール会の中村哲など、現代と生で向かい合っている人物が一人でも加わると、会議全体の印象ががらりと変わるだろう。
この会議は稲盛財団がスポンサーで、京都への稲盛の思い入れの強さを改めて感じたが、彼の思想の根底にある「利他の心」を多面的に考察しても(山極の仕事とも重なる)しても、稲盛におもねることにはならないだろう。
次の会議をどんな顔ぶれで、どういうテーマを設定するのか、主催者の力量が問われることになるだろう。
(2015年10月13日記。文中敬称略)
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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