ロンドンからパレスチナへ⑥|MK新聞連載記事

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ロンドンからパレスチナへ⑥|MK新聞連載記事

MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
パレスチナカメラマン・桐生一章氏のロンドンからパレスチナへ⑥「パレスチナ問題とナチスの強制収容所」です。
MK新聞2015年5月1日号の掲載記事です。

パレスチナ問題とナチスの強制収容所

家屋破壊の前に運び出された家具

家屋破壊の前に運び出された家具

イスラエル軍による家屋の破壊

2013年12月、ヨルダン渓谷の村に来て3日目の朝、ムスタファさんの電話が鳴った。
彼は来客中(海外のボランティアの方が訪れていた)だったが、すぐに出かける準備を始めた。
慌ただしくポーランド人青年とスペイン女性、ムスタファさんと一緒に車に乗り込んだ。
ある村でイスラエルによる家屋破壊が行われたということだった。

車を飛ばして村に急ぐ。
村は幹線道路からすぐの山に迫ったところにあった。家々はまばらに建てられており、広々とした村だ。
車が停まるまでどこに破壊された家があるかわからなかった。
降りてすぐ目の前にコンクリートと瓦礫(がれき)の山があった。これがそうかと思った。
建っているところを見てないが、大きな家であったことは伺える。
完全に破壊されている。破壊された家の脇に家財道具が出されていた。
僕らはイスラエル軍が帰った直後に到着したらしい。

イスラエル軍は村に到着後、破壊する家に2、3分の時間を与え家財道具を運び出させる。
その後ブルドーザーで破壊する。理由は違法建築であるとか建て増しをしていたとかそういう理由だ。
家に住んでいた者がテロリスト(イスラエルはテロリストと呼ぶがレジスタンスという方が合っていると思う)である必要はない。
家財道具のそばに村人が集まり車座になっていた。子供たちは無邪気に笑顔で遊んでいる。

この村ではこの朝6軒の家が破壊された。羊の飼育小屋や飼料小屋も破壊された。
他に頼る人がいれば家を破壊されてもまだ身を寄せることもできるかもしれないが、それもなければ野宿するしかない。
これから厳しい冬が始まる。飼料小屋も屋根をはがされてしまったので必死に飼料を袋につめて他の場所に運んでいた。
この2日後に大雨が降った。

国連の難民証明書を持つ家を破壊された人

国連の難民証明書を持つ家を破壊された人

家を破壊された老人は難民だった。
パレスチナ自治区内、ガザ、ヨルダン、シリア、レバノンなどにパレスチナ人難民は500万人以上と見られている。
パレスチナ難民は1948年の第1次中東戦争で発生した難民とその子孫だ。
彼は難民証明書を持っており、そこには本人の名前と家族の名前が記されてあった。
彼が今後どういう生活を営めるかは全くわからない。

破壊された家々に人が集まって何やら会議のようなものが開かれて今後を話し合っているときにでも、お祈りをしている人たちがいた。
瓦礫となった家のそばでメッカの方角に向かい、いつものよく見るお祈りをしているのだった。
小さな半畳ほどの敷物を敷いてその上でイスラムのお祈りをする。パレスチナに来て以来、何回もの祈りの光景を見てきた。
破壊された家の前での祈りを見て今までにない印象を持った。

その村で数人のヨーロッパ人に会った。彼らはボランティアでその村を訪れていたらしく、イスラエル兵が来たときも村にいたそうだ。
イスラエル兵は突然現れて家を破壊しすぐに立ち去ったという。他の村民や活動家との接触を避けるかのようだ。
このまま村にいてもアラビア語がわからないのでどうしようかと思案していると、村の人たちが簡易テントを建てようとしていたのでそれを手伝うことにした。
彼らは笑顔を交えてテントを張っていった。
外国人が来てテント張っているのを子どもたちが珍しがってか集まってきた。わいわいひとしきりにぎやかになって夕方ムスタファさんの車で帰った。

EXISTENCE IS RESISTANCE

家屋破壊の2日後、夜中に強烈な雷と大雨が来た。
生まれて初めて雷に恐怖を感じた。
今までに聞いたことのないような大きな落雷で大雨を伴って何時間も降り続けた。秋から冬に季節の変わりを告げる雨だろうと思った。
家を破壊された家族、飼料小屋の人たちのことを考えた。家が泥なので少し緊張した。

泊まっている家に管理人のような感じで住んでいる家族が、家の壁を泥で塗るというので手伝った。
そこら辺にある土に水を混ぜて泥を作る。その家族の息子と外で泥をこね、できた泥を家の中の壁に塗っていく。
以前塗られた泥の上から一緒に塗っていく。泥を乾燥させたブロックのようなもので壁を作りその隙間を埋めて上から全体に塗っていくというやり方だ。
単純作業で泥の感触が気持ちいいし、仕事をしている感じがうれしかったのだが「蛇に気をつけて」と言われる。

外で少し休んでいると家族が見にきてくれという。
見に行くと壁に大きく「EXISTENCE IS RESISTANCE」と大きな文字が泥で書かれてあった。
「存在することが抵抗」決して立ち退かないという言葉だ。
これはヨルダン渓谷だけでなくパレスチナ全体に言えることだ。

違法国境線 手前:オリーブの木、奥:イスラエルによる違法入植地

違法国境線 手前:オリーブの木、奥:イスラエルによる違法入植地

パレスチナとオリーブの木

大雨が降った2日後にムスタファさんたちと別れてビリン村に帰った。
まずタクシーで近くの街ジェリコまで行き、そこでラマッラー行きのタクシーに乗り換える。
ジェリコは世界一古い街として、それに世界で一番低い、海抜以下の街として有名だ。
何年も前にジェリコの近くでイスラエル軍がパレスチナの刑務所を襲い破壊して政治犯を誘拐した現場に行ったことを思い出す。
圧倒的な破壊力で刑務所は崩れ落ちていた。捕まえる目的の政治犯は生きていられたのかと思ったほどだ。

ジェリコでファラーフェルサンドイッチ(ひよこ豆のペーストを揚げたもの)で腹ごしらえしてラマッラー行きのタクシーに乗る。
タクシーは2種類ある。1つは近道だがイスラエルの検問所がある。
もう1つは検問所なしの遠回りルートだ。検問所を通過しても多分問題ないのだが遠回り道を選ぶ。
これはイスラエルによる嫌がらせだろう。政治犯でも遠回りすれば検問所を通らず移動できるのだから。

ラマッラーは大雨だった。標高が高いし風と雨で体が冷えてしまったのかその後3日ほど体調を崩してビリン村で寝込む。
その間、何10年ぶりの大雪で3日ほど停電。電気がないので木で火を熾(おこ)し、暖をとる。パレスチナでは冬にはよく焚き火をする。
オリーブの木はよく燃える。本当に役に立つ木だなあと思う。友人のハムディがご飯を作ってくれた。

この木がこの地方ではとても重要だ。
パレスチナでは至るところに植えられ、とても生活に密接している。日本でいうと稲作といえるだろう。
この精神的なよりどころとなるようなオリーブの木をイスラエル軍や入植者(パレスチナ自治区内に違法に建設された街に住むイスラエル人、銃を携帯することを許されている)たちが村に侵入して焼き払う。
オリーブはとても時間をかけて成長する木だ。今年2015年2月、樹齢2000年というオリーブの木に入植者が火をつけたという。

歴史的な大雪が治まった日、お世話になったビリン村を後にする。車でラマッラーまで送ってもらうと膝までの積雪で交通が麻痺している。
初めて見る風景だ。友人たちに送ってもらった後、そのままカランディア検問所まで行ってエルサレムに帰る。

自分の都合で他人の自由を奪う人生

エルサレムでは日本の友人と一緒にオリーブ山に登った。
エルサレムの東側、旧市街から東側は谷になっており、そこに降りて反対側にまた少し登るとそこがオリーブ山だ。
オリーブ山にあるバックパッカーの宿の屋上に登るとそこから東の方にはヨルダンが見える。

ヨルダンの人口の70%はパレスチナ難民だ。
見晴らしがとてもよくこの辺りの地形が見渡せて気持ちよい。
パレスチナというところは小さなところだというのを感じる。
イスラエルはそこを日々入植地や道路で分断している。最終的にすべてをイスラエル領にしようという意図が見える。
パレスチナの状況は占領始まって以来70年よくなる気配がない。占領下に生まれ占領下で死んでいく人たちが大勢いるのだ。
毎週金曜日にデモをしているビリン村の人々。占領下でなければ彼らは僕らと同じように週末を友人や家族と過ごす時間を持てるだろう。
平和であれば夜中にイスラエル兵がやってきて子どもを誘拐していくこともない。

他人の都合で死と隣り合わせにさせられている人生とはいったいなんだろうか。
そして自分の都合で他人の自由を奪う人生とはいったいなんだろうか。パレスチナやイスラエルで出会った人たちは普通の人たちだった。
家族があり恋愛をして友人と遊び仕事を終えれば家族とご飯を食べるような、世界中で毎日繰り返されていることがパレスチナでもイスラエルでも営まれている。
ここは特別な場所ではない、というそんな当たり前のことが行ってみて初めて実感できた。

 

MK新聞について

MK新聞とは

「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
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40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について

ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。

MK新聞への連載記事

1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。

1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)

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