書評「東日本大震災 被災と復興と」|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
木下繁樹著「東日本大震災 被災と復興と」の書評記事です。
MK新聞2015年4月1日号の掲載記事です。
被災した大船渡のジャーナリスト渾身の現地報告
4年前の2011年3月11日、著者の木下さんは市内のレストランで棚から落下したワインの瓶に頭を直撃され、テーブルの下に潜り込み震えていた。
その後、勤務先の東海新報杜へ戻る途中、家に立ち寄り車にガソリンを補充して歩き出した途端、「煙だ! 煙だ!」の声が聞こえたと思うと 「津波だ! 津波だ!」の絶叫。
振り向くと数10m先に波頭が。
ゼイゼイしながら山側に走り続け、やっと息をつけた。
4章にわたって展開される報告は、読むに辛いものが多く、なぜこんなことが“正しい”として罷り通るのかと、いう思いにとらえられる。
金魚鉢と金魚、どっちが大事?
まず復興事業のための土地区画整理がある。
そのため、地権者から土地の一部を提供してもらって、道路や公園など公共用地を生み出すため売却する保留地を確保する。
この 「減歩(げんぷ)」 は地権者にとっては「自分の土地をただで取り上げられる」 に等しい。
自宅、家財、店舗を失って土地だけが最後の財産なのだが、50坪の土地の10%を減歩された人は、その後その5坪の土地の買い戻しを求められた。
これは自分の土地を自分で買い戻すことと同じだ。
行政は復興を盾に被災者の最後の財産まで削り取る。あるいは、跡地を市から買い取ってもらえない浸水地の地主はその使い道がない土地の固定資産税を払い続けねばならない。
関西学院大学の災害復興制度研究所の西隆広さんは阪神・淡路大震災後の土地区画整理事業について報告書をまとめているが、その中で復興事業が被災地域と被災者にもたらした“災厄”を指摘した。
①住宅再建制限による長期の実人口減
②このため地域を主な商圏とする事業者へのダメージ
③復興事業の進め方に対する考え方の違いから住民同士が対立し、コミュニティが分裂する
などだが、西さんは行政の姿についてこう言い切る。
「壊れた金魚鉢から放り出された金魚をほったらかして鉢をいかにきれいにするか騒いでいる」。
仇になった過去の体験
気仙(けせん)地域と呼ばれる岩手県南西部の沿岸部は明治29(1896)年と昭和8(1933)年の三陸大津波で犠牲者を出したが、大船渡や陸前高田前の人々にとって津波と言えば50数年前、昭和35(1960)年のチリ地震津波だった。
その被害で大船渡町は「復興不能」とまで言われた。
そして古老は 「どんな津波も国鉄の線路を越えてこない」と言っていた。
そして3月11日午後2時26分自身、6分後に第1号大津波警報発令、さらに3時12分に第2号と、6号まで発令されたが、これを伝える放送は平時同様のチャイムとゆっくりした口調だった。
防波堤が倒壊した知らせもなかった。
防災無線が情報を発信する場所は津波の襲来を目撃できる場所と異なるため、実際の状況がリアルに伝わらなかったという。
この日、JR線路脇のガードレールの前で、津波の襲来を見物している人たちを民生委員が見つけ、注意をしたけれども、線路を越えることはないと信じていて、結局津波に飲み込まれてしまった。
人を跳ね飛ばして走り去る車
陸前高田市では道路が渋滞し、道の両側は車で埋まり、センターラインには何人も人がいた。
そして海側から走ってきた猛スピードの車はその人たちを跳ね飛ばしながら山の方へ走り去った。
それも1台や2台ではなかったことが目撃されている。
あるいは、妊娠している妻、幼い子ども、義理の両親を失って、一人生き残った男性は自殺した。
被災者のための救援物資問題もある。
大船渡市内のお寺には、本山が全国から集めた物資が届き、それを市役所に届けたが、3度目には 「お寺の方で対処してほしい」 と受け取りを断られた。
著者は 「行政には各地から送られてくる大量の物資を受け入れて、必要とされる人たちに効率的に配布するノウハウがない」と指摘し、一括して民間の宅配業者に委託することを提言する。
ある人が仮設住宅に住む親戚に野菜を送ろうと、希望する時間帯を聞いたところ、「夜にして。日中に届くと周りに妬まれる」という返事だった。
また、被災者が避難所で食糧を受け取ろうとすると、「家はありますか」と聞かれ、「中はめちゃめちゃですが」と答えると、「家のある人は自分で買いに行ってください」と断られた。
また、預金通帳を失って、金融機関に再発行を申請したが、その書類にサインを求められた。
その人は何年も前に視力をなくした人だった。
私たち自身、状況次第では加害者にも被害者にも成り得るのだ。ただ光もある。
自然は制御できるのか
大船渡市と陸前高田市に隣接する住田町は被害を受けなかった。
震災から3日後の3月13日、多田欣一町長は、第3セクターの住田住宅産業に、木造仮設住宅の建設に入るよう指示し、17日には議会の議決を経ずに町長の 「専決処分」で仮設住宅を建てることにした。
普通は予算を議会に諮り、入札―設計業者選び―工事入札―請負契約などで4、5ヶ月要するが、町長の決断で、5月には仮設住宅を完成させたという。
「国のルール、県のルールではなく、被災者のルールに立つ」 という思い切った決断だった。
著者は被災者として山積みする問題解決の手掛かりを求め続けた上で、それでも 「自然を制御できると考えるのは愚かなこと、自然は人間の知恵や技術などいとも簡単に凌駕する力を持っている」(222ページ)と改めて警告する。
最終章は阪神・淡路大震災で被災した神戸市長田区の訪問記事だが、実は、昨年の7月8日、筆者(加藤)は木下さんに同行した。
98店舗の9割が全焼したという大正筋商店街の再開発ビルに入ると、建物は立派だが人通りは少なくシャッターが目につき、ほとんど声を失った。金魚鉢は奇麗になって、金魚は何処へ?
木下さん(昭和28・1963年生まれ)は本書で、大声で誰かを非難、批判はしていないが、抽象論ではなく、地に足を着けたさまざまな視点から問題を取り出し、静かな声で私たちに語りかけており、それをいわば“我がこと”として受け止める必要がある。
書籍情報
『東日本大震災 被災と復興と 岩手県気仙地域からの報告』
2015年3月10日
株式会社はる書房
〒101―0051 東京都千代田区神田神保町1―44駿河台ビル
℡03・3293・8549
FAX03・3293・8558
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)