アメリカの源流~イエローストーン国立公園~②|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
食満厚造さんのアメリカの源流~イエローストーン国立公園~②「魅力あふれるイエローストーン」です。
MK新聞2013年10月1日号の掲載記事です。
魅力あふれるイエローストーン
ブラックサンドガイザー(2.9㎞)、ビスケットガイザー(2.3㎞)などを経て、ノリスへ向かう道路沿いにあるミッドウェイガイザーベイスン(エクセルシオガイザー、グランドプリマティックスプリング)やロウア―ガイザーベイスン(ファウンテンペイントポッド)のガイザーを見学しながら、北上する。
一旦、西ゲートから公園外へ出て1泊する(約48㎞)。
ウエストイエローストーンのホテル「駅馬車」に宿泊する。近くに歴史ミュージアムがあり、今と違ってイエローストーン公園への観光客の輸送に活躍したユニオンパシフィック鉄道の栄光の時代を思いしのぶことができる。玄関横に駅馬車が3台展示されていた。
絵画のようなエメラルドプール
西ゲートから再入園、ノリス経由マンモスホットスプリングスへ(約78㎞)。
ノリスに行くまでにアーティストペイントポット(1.5㎞のループ道)などに立ち寄りながらノリスに着く。
ノリスは約10万年前に活動した公園内では最も古く、最も高温である地帯のひとつであるといわれている。
ここでもバックベイスン(鉢状の窪地)とポーセレンベイスンに分かれ、同様に木製の遊歩道をループ状に回遊できる(それぞれ1周2.5㎞、0.8㎞)。
この一帯は全部回れば5㎞といわれているが、大小180もあるといわれるカラフルなポットのうち代表的なエメラルドプールなどを見て回った。
まるでキャンバスに描かれた絵画のように美しい。緑・黄・赤・オレンジの色は、湖に生息するバクテリアによって作り出されている。
中心部は高温のためバクテリアが生息できず、青色になっている。
マンモスホットスプリングス
1880年代には馬車で峠越えをしたという険しい峠を越すと、マンモスホットスプリングスの全景を見渡すアッパーテラスオーバールック(高台)に着く。
ここからはビジネスセンターやホテルなどが一望できる。
総延べ数400段くらいの木組みの階段や遊歩道が敷設されている。
翌朝9時過ぎに駐車場から出ると、うまい具合にシンボルタワーから始まるレンジャー隊員の案内に出くわしたので、この観光客に合流した。
毎日約2トンの溶岩が流れ、テラスの形状と色彩を常に変化させるという。
マンモスホットスプリングスのロッジはホテル並みであったが、トイレ、シャワーを各階で共有することになっていた。
それらが部屋の対面にあったので助かった。洗濯機やアイスメーカーもシャワールームの近くにあった。
部屋に洗面台は付いていた。水質のせいだろう、洗面で顔を洗うと湯にまったり感がある。
ロビーの壁には9ヵ国15種類の木材で組み合わされた合衆国の地図が展示されている。
窓からアルブライトビジネスセンターが見える。
アルブライトビジターセンターの2階にあるミュージアムには、銃撃戦が終焉したと説明されている1900年代初頭の開拓者と原住民が並ぶ写真が何枚か展示されていた。
見る者には、殺戮され血塗られた多くの原住民の秘められる歴史の証しとして訴えてくる。
イエローストーンではレンジャー隊員が大活躍している。野生動物の保護やビジターの案内など。
見学を終え、ロッジに戻る途中、草刈りをするレンジャーに出くわしたが、聞くと、自生種以外の雑草を除草しているということであった。
午後は、ホテルから約1.5㎞離れたところにあるマンモス牧場で乗馬を体験した。
思い起こせば、大学にも乗馬部があったが、今まで馬に乗る機会はなかった。
一列縦隊で2時間たっぷり草原を進み、乗馬を楽しむ。日本では、全くの初心者に一列縦隊はないと思う。
乗り方は右手で、手綱を持ち、左手をフリーにしておく西部劇スタイルであった。
次のタワールーズベルトでは3マイルのコースを駅馬車で体験する。
気分はすっかり映画「シェーン」の主人公。こうしたレジャーの提供もサンテラ社の事業である。
イエローストーンを見渡す
翌朝タワールーズベルトに向かう(約30㎞)。
タワールーズベルトではタワー滝を見学後、北東ゲートまでドライブ、野性の牛バイソンを見に行く。
途中ラマー渓谷でムース鹿の大群に出くわす。
1920年に建てられた1階建てのタワールーズベルトのロッジでは、部屋にトイレ、シャワーだけでなく、洗面台もなかった。
ロッジの名前の由来である自然主義者かつ野外活動家セオドア・ルーズベルト(アメリカ26代大統領)の唱道に従って公園の商業化の脅威に抗し、建設当時の宿泊条件を守ってきている。
昼間の暑さからは信じられない明け方の冷え込み、ベッドの中で凍りついた。
部屋にはストーブと牛糞練炭がありマッチも添えられていたが、チェックインの時点で何の説明もなく、風邪をひいてしまった。
自然保護の題目に、あるいは、観光資源にあぐらをかいているのか。8月でも寒い、時代遅れのこの施設がイエロ―ストーンで最も人気が高いという。
キャニオンビレッジ(約30㎞)への道中、海抜3022mのウォシュバーン山がそびえる。
通常4~5時間の5㎞の登山道を7時間かけて登る。登山口から頂上まで全く標識がないのもいかにもこの国らしい。
マウンテン山羊やマルモットなどに遭遇しながら無事に頂上までたどり着くことができた。
この頂上からは、世界一のカルデラ、面積が四国の約半分といわれるイエローストーンの東西南北がすべて見渡せる。
観測所があり、白い煙が上がると消火に出動できる体制をとっていた。
ただ頂上のトイレは手洗いの水がなかったので、特に女性は要注意。
登山途中、アーミーの関係で沖縄にいたことがあるという若い女性と話す機会があった。
軽い気持ちで「日本を守ってくれてありがとう」というと、彼女も「Thank you」とうれしそう。
アメリカに溶け込む日本のサブカルチャー
キャニオンビレッジのキャビンは広く、クィーンサイズのベッドが2つあった。洗面台、シャワーも備わり、ほっとした。 湯わかし器とドライヤーはなぃ。
ダイニングルームの夕食にはリブアイのステーキをいただく。5ドル足して、スープと野菜サラダバーを付けた。
朝食は日清の「スーパーミール」。大きなカップの海鮮ラーメン、見かけないデザインの容器に入っていたので現地生産品か。
熱湯と箸が備えられ、1.99ドル。
アメリカ人らしい青年がおなじみの日清カップヌードルにお湯を注いでいたが、店内では売っていなかったので、どうやら持ち込みのようだ。
ハワイ4島巡りやアラスカクルージングの船内で見たカラオケの人気にも驚いたが、日本の即席ラーメンも完全にアメリカ社会に溶け込んでいる。
ここの観光の目玉スポット、渓谷を流れるイエローストーン川のアッパーとロウワー2つの滝を様々な角度から見せる仕組みになっている。
この渓谷は文句なしに三ツ星だが、ノースリムからロウワー滝のそばに降りていくには約150m下る必要がある。
また、サウスリムの対岸側からアンクルトムポイントへ行くにも後半から約330段の木製の下り階段がある。
高齢者にできないことはないが、帰りがきつい。行くなら若いうちがおすすめ。
午前中にノースリム、午後サウスリムを回るのがいい。
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
MK新聞への連載記事
1985年以来、MK新聞に各種記事を連載中です。
1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)