自給自足の山里から【156】|MK新聞連載記事
目次
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、縄文百姓の大森昌也さんらによる「自給自足の山里から」を、1998年12月16日~2016年6月1日まで連載しました。
MK新聞2012年2月1日号の掲載記事です。
大森昌也さんの執筆です。
「大森がブラク」だからと、放射能のがれての移住を拒む村人
姫路から電車で「トンネルをぬけると、そこは雪国」の但馬(兵庫県北部)は、正月以来雪が続き、わが山村はすっぽりと白いものに覆われての白銀の世界である。
息子のケンタとげん一家と、放射能のがれての若夫婦の幼い子ら幼い7人が、雪だるま、雪ソリではしゃぐ。その歓声と笑顔は山村の宝である。
私は雪かきにおわれ腰を痛める。腰痛とともに、心を痛めることがおこる。
放射能のがれての若夫婦と友人の老夫婦の移住に、村人が「村として反対」と言い、水道・道路の使用妨害する。
江戸時代ではあるまいに、今時「居住の自由を奪う」なんて。納得いかない友人は、区長に「なぜ?」と問う。
すると、「大森さんがブラク(被差別部落)。八鹿(※注)のこともあり、ブラクはこわい。大森さんの影響が強くなるのは困る、と村の者が言う」と返ってきた。
びっくり。市の人権課に相談する。人権擁護委員と面談するが、事実確認すらしない。
「部落解放・人権ネット」(NPO)と連絡取り、ようやく市は区長と面談し、先の発言を事実と確認し、サベツ発言認める。
サベツの無かった縄文の魂を持つ山村を!
私は移住して25年。移住時、古老は「私が死んでも、この村は残る。あんなに嬉しかったことはない」の言葉が忘れられない。
ケンタ1人で分校が8年ぶりに再開にも、村人の署名が県に出された。
ケンタ・げんは村で百姓やっている。私の紹介で、4家族(2軒は転居)が移住し、今の長老も「村が活性化」と喜ぶ。
それが、今頃になって、私がブラクだからと知人友人の移住に反対とは。私は、ブラク出身を隠していない。
私に気遣って、「そんな貧しい人に傷つくのではなく、相手(かわいそうな人)を包み込む力を養ってほしい」との声が届く。
私は、友人のブラクを利用しての移住を拒むサベツへの怒りの告発を受け止め、心貧しい人たちを包み込んで、ブラク民の豊かな心を共にし、楽しく、おもしろい、サベツの無かった縄文の魂を持つ百姓のむらをつくっていきたい。7人の幼い子たちの明日のために。
神聖なブラク鳥はきっと、幸福をたずさえて訪ねてくれる
隣町八鹿出身で「こちら(東京)寒いけど毎日晴れている。そういう日は、但馬にはいっぱい雪が降ることはよく知っている」とおっしゃる言語学者の田中克彦さんから、嬉しく心躍る便りが届く。
「ブラクだブラクだとさわぐ人は、きっと自分がぱっとしないから、ネタむかヒガむかしているのでしょう。だが言われる方は、やっぱり迷惑だ。ここはひとつ伝説でもつくって、ニニギノミコトが天降る際に、おれたちの先祖は、あまり才に恵まれていたために歴史学者が消えてしまった。去年ユーラシア旅行した時、先祖の発祥の地を見つけた。そこから持ち帰ったのだと、棒を一本たて、その上にトリの巣箱を作り、そのうち、おれのブラク鳥が、ここに降臨なさるのだと、そういう人に言ってあげたらどうか、お前さんもおみきを一杯たてまつって拝んでいけと。
こちら寒いけど毎日晴れている。そういう日は但馬にはいっぱい雪が降ることよく知っています。・・・伝説のブラク鳥のやどる聖木を尾上にウォトカを持って出かけましょう。
ブラク人よ、がんばれ、神聖なブラク鳥はきっと幸福をたずさえて訪れてくれるだろうから」。
ブラクは、日本史のなかで中核であり続けてきた!
「大森さん! 立ち上がれ! 共にたたかう」との強いメッセージが矢田さんから届く。
「正月気分が吹き飛ばされてしまいました。彼らに糺し訴え学習させる従来のやり方では、これからの時代は効力なしと考えます。
なぜなら、民主主義とか人権・平等・自由という考え方は、紙切れとなって散ってゆく時代に入ってきたからです。今回の問題も真に問われているのは、区長らの言動より、むしろ今後の大森様の生き方、死にざまにかかっていると申しあげて過言でないと思います。
世界がいよいよカオスに突入してきた今、これからはかつてブラクが養い紡いできた伝統・文化をさらに昇華させ、自治・独立をはたすことが急務であると考えます。もちろん、世界中の被差別民とともに。
かつての部落では、文字を書くことも読むことも必要としなかったがゆえにみえてくる地平がありました。これからの時代を生きる知恵が一杯あります。日本史の中で部落は、中核でありつづけたことを忘れてはなりません」。
ちえ、原発許さない百姓陶芸家へ修行に出る
娘のちえは、正月から和歌山で陶芸家の元に弟子入りし、4年間修行すると軽トラックに家財道具載せて出かけた。中学生の頃から東南アジア、中南米を旅してきたが、縁あっての決意。兄妹らも支援。この村で、のぼりガマうって、百姓陶芸家の生まれることを期待する。
支障の由利子さんは「私の故郷は岩手。知人友人親戚を亡くしています。心の傷は深いものです。戦後開拓で入植した人のほとんどは満州よりの引揚者。彼の地に子を置き去りにせざるをえなかった人、親の亡骸を野面に横たわらせてそのまま逃避行を続けた人、そして我が子の口をふさいで殺して日本にたどり着いた人・・・。幼いことから親しんだどの人も、地獄に堕ちるほどの絶望を心に抱えて生きてきた方ばかりでした。東北の地はそのような人たちの辛い努力で支えられてきたのです。原発への怒りは止みません。
ちえは、感性豊かでやさしい娘です。お父さんが大好きなようですね」の便り届く。
大阪でアルバイトしながら定時制高校に通うれいは、双子のあいの支援受けながら、「みんなで決めよう『原発』国民投票、大阪市『原発』市民投票」の署名活動を行う。1日で100人余集めたこともあるという。12月10日~1月10日の1ヵ月でなんとか5万をこえてよかった。たくさんの著者たちが1日1日、ひとり一人を話し集まった署名。よくがんばった。
(※注)
1974年冬、八鹿高校の生徒21名が、差別拡大する授業について教師との話し合い求めて廊下でハンスト。解放同盟・労働組合・地域ら共斗も話し合うよう求めた。しかし、生徒たち放って集団下校。連れ戻した実行行為は1988年3月大阪高裁で有罪になるも「糾弾は憲法十四条にてらして是認」「人間として耐え難き情念からで、かなりの厳しさはゆるされる」と判決。
あ~す農場
兵庫県朝来市和田山町朝日767
MK新聞について
「MK新聞」は月1回発行で、京都をはじめMKタクシーが走る各地の情報を発信する情報紙です。
MK観光ドライバーによる京都の観光情報、旬の映画や隠れた名店のご紹介、 楽しい読み物から教養になる連載の数々、運輸行政に対するMKの主張などが凝縮されています。
40年以上も発行を続けるMK新聞を、皆さま、どうぞよろしくお願いします。
ホームページからも最新号、バックナンバーを閲覧可能です。
MK新聞への「あ~す農場」の連載記事
1998年12月16日号~2016年6月1日号
大森昌也さん他「自給自足の山里より」(208回連載)
2017年1月1日号~2022年12月1日号
大森梨沙子さん「葉根たより」(72回連載)