喜寿のタンザニア紀行③|MK新聞連載記事
MKタクシーの車載広報誌であるMK新聞では、フリージャーナリストの加藤勝美氏よりの寄稿記事を掲載しています。
喜寿のタンザニア紀行③「ウントコショ ドッコイショ」です。
MK新聞2015年2月1日号の掲載記事です。
ウントコショ ドッコイショ
朝の神秘体験
2014年8月25日(月)、東アフリカのタンザニア、キリマンジャロ山が見えるルカニ村の朝。
少し冷え込むが、6時前に起きて庭に出る。
快晴の空の透き通った青さ、空気の爽やかさ、あたりはバナナやコーヒーの木などが密生し、放し飼いの鶏の声、なぜか言葉にならない陶然とした気持ちになって、自分が一瞬あたりの空気に溶け込んでしまった。
ほとんど神秘体験と呼びたいほどの稀有な経験だった。
月曜なので、7時頃から子どもたちが1人で、あるいは連れだって学校に向かう。
体をほぐしている私に、明るく「ジャンボ!」と声をかけてくれ、こちらも「ジャンボ」と応える。
皆寒そうに起き出してきてアレックスさんも一緒の朝食となる。
搾りたての牛乳はすぐに膜を張るので、茶漉しを通す。
好みでコーヒーか紅茶、食パンにとても濃厚な蜂蜜を付ける。
日本の家族にも味わわせたいと思った。
サッと揚げたと思われる黄金色のジャガイモもうまい。
8時半から全員ですぐ近くのコーヒー園で実を採り始める(写真)。
赤く熟したものだけバケツ大の容器に一杯になるまで集める。
摘んだ実を噛んでみるとほんの一瞬、酸っぱい甘みが感じられる。
集めた実は鉄製の皮むき機に入れ、水を少し掛けてハンドルを回すと、皮と実がきれいに分離して白い実だけが下に置いた盥(たらい)に溜まり、赤い殻は残る。
日本人の感覚では殻の始末をどうするかを考えるが、そのまま地面に捨てる。
これは鶏も食べないので、一帯の地面は黒く変色した空でいっぱい。
白い実は水に入れると質の悪いものは浮く。これを大きな網に分けて載せ、乾燥する (写真)。
「ムスンデ ヒライテ」
一同、晴天下の単純肉体労働に満足 (?) し、それからアレックスさんに率いられて村のデイ・ケア・センターへ。
養護施設ではなくて、保育園だ。園長不在で簡単な見学で引き上げる。
昼食は料理用のバナナ料理。バナナと骨つき肉を炊き込んだもので、これは芋の食感。
昨夜来の食事はすべて薄味で食べやすい。調味料としてカルダモン、シナモン、クローブ(丁子(ちょうじ))、塩、胡椒を使っているという。
午後からはバザール見物。家畜運搬用の車の荷台に乗り、でこぼこ道を突っ走る。
振り落とされぬように家畜を繋ぐ鉄製のパイプに必死につかまってタンザニアの風を切る快感?
食料品、生野菜、果物、日用雑貨、布地、中古の靴などナンデモアリのごった煮の熱気。
客が果物を食べた後の皮は地面に捨てている。屑(くず)籠などない。
帰りにはアレックスさんが携帯電話でどこからか車を呼んだ。
物の運搬用の荷台があり、私は助手席に座らせてもらえた。
学生たちは荷台へ。しかし、村に近づくとつぎつぎに人を乗せるので狭い荷台は人でびっしり。
初めは麗しい互助の慣習かと思っていたが、どうも違う。
10人ほどが次第に減ってゆき、注意して見ていると、それぞれ小銭を運転手に払っている。
われわれが降りる時もアレックスさんがお金を渡していた。
夕方、夕闇の中で少女2人がまたトウモロコシを焼いている。
すぐに人と親しくなれる才能を持ったマモー君が英語で何か聞いていたが、2人は「せっせっせ、ぱらりとせ」、「結んで開いて」ともう1曲を日本語で手拍子を交えて歌うのには驚いてしまった。
誰が数えたのだろう。
この日の夕食は鶏の骨付きを炊き込んだこげ茶色のピラウ(写真)に野菜の煮込み2種類。ニンジンはほんのり甘みがあってうまい。ほかに細めのスパゲティ。
「マイ・ブラザー」
そして26日(火)。
朝の6時頃、キリマンジャロ山が見えるという近くのポイントに案内された。
3ヵ所目で朝陽を浴びる姿を撮ることができた(写真)。
朝食はチャパティ(水でこねた小麦粉を丸く薄く延ばして焼いたもの)に蜂蜜、野菜と肉の煮込み、細めのパスタと牛乳。
そして午前中に昨日訪ねた保育園を再訪。
園長さんと会うことができ、簡単に自己紹介。英語でもいいのだが、「私は加藤です。歳は77歳です」をスワヒリ語で。
するとキマロ園長は「私は70歳、あなたはマイ・ブラザーだ」と言ってくれた。
ちなみにアレックスさんは私を「お父さん」と呼ぶ。
自己紹介が済んで教室に入ると園児たちが待ってましたと3曲ほど一斉に声を張り上げて歓迎。
ピアノなどないからアカペラである。
それが終わると皆思い思いに自分のノートを見せに来る。
数の数え方や絵などが書いてあり、それを見て「ンズリ」(英語のgood)と言って頭を撫でる。
縮れ毛の柔らかなふんわりとした感触。子どもたちは2人の女子大生のストレートの髪を珍しがり、盛んに撫でて、後ろに丸めた髪を取ろうとする。
ひとしきり“交流”してからわれわれの“芝居”に入る。
『おおきなかぶ』の上演
ディレクターは三重県から来た片岡雅子さん。
日本でよく知られているロシア民話による童謡『おおきなかぶ』の上演のため布製の「かぶ」を日本から持ってきていた。
ふくらみを出すため葉の下の部分は袋状になっていて、そこに大きな枕を入れる。
リハーサルは出る直前に1回やっただけ。
片岡さんは語りの部分をスワヒリ語に翻訳して絵のそばに貼り付けておき、それを読み、われわれ4人(大学生3人と私)が出演。
おおきくなったかぶを爺さん(私)、婆さんから始まって孫、犬、猫、鼠(ねずみ)が加わってようやく抜けるという話で、役者が足りないのは読みで補い、ウントコショドッコイシヨ (これは日本語で)を繰り返して、抜けたところで爺さんが子どもたちの前にかぶを放り投げる。
盛大な拍手の後、キマロ園長が自分たちもやろうと言い、園長、マリー先生、それに子どもたちが恥ずかしそうに前に出て再演、子どもたちも大喜びで園長の顔も「余は満足じゃ」。
片岡さんは旧大阪外語大学のスワヒリ語科第1期生。
学生時代に1度タンザニアに来ている。
以来、タンザニアの子どもたちに何かをしてあげたいという思いを20年余り持ち続けて、今度の旅行となった。
関空の待合室などでの会話の端々から感じられる、その無私のタンザニアへの愛情に私は心打たれていた。
そして全く偶然に一緒になって学生たちと共演。ここには「何かが実現する」ことの見事な例がある。
一人の人間の思いから発して周りをおのずと巻き込む。重要なのは片岡さんが何の組織にも属さず、何かを代表する立場でもなかったことだ。
もしそうであれば、見栄えがするいいものが求められ、そもそもアフリカまで来て演ずるなど、誰も考えなかっただろう。
(実は子どもたちに凧を見せたいと手作りの連凧(れんだこ)を持ってきた奈良の女性がいる。彼女はサファリをするグループ4人のうちの1人で、キンゴルウィラ村に滞在。いずれ「タンザニアに凧を揚げる」を寄稿してもらう予定。)
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フリージャーナリスト・加藤勝美氏について
ペシャワール会北摂大阪。
1937年、秋田市生まれ。大阪市立大学経済学部卒
月刊誌『オール関西』編集部、在阪出版社編集長を経て、1982年からフリー
著書に『MKの奇蹟』(ジャテック出版 1985年)、『MK青木定雄のタクシー革命』(東洋経済新報社 1994年)、『ある少年の夢―稲盛和夫創業の原点』(出版文化社 2004年)、『愛知大学を創った男たち』(2011年 愛知大学)など多数。
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1985年11月7日号~1995年9月10日号 「関西おんな智人抄」(204回連載)
1985年10月10日号~1999年1月1日号 「関西の個性」(39回連載)
1997年1月16日号~3月16日号 「ピョンヤン紀行」(5回連載)
1999年3月1日号~2012年12月1日 「風の行方」(81回連載)
2013年6月1日号~現在 「特定の表題なし」(連載中)